日刊月刊つん太 2008年(代理執筆・由里)
最古(2000年11〜12月)//2007年//2009年//最新(2014年)の日刊つん太へ
表紙へ
完結
1999年に発行の始まった、アメリカの「50州クォーター」。
各州の地形やら特産品やら州の自慢やらを図案化した25セント玉を毎年5枚(5州)ずつ発行して
10年目の今年、合衆国50番目の州ハワイを最後にシリーズ完結。
めでたし、めでたし。おめでとう。
って、私、まだハワイと49番目のアラスカが手に入ってないですけど。
発行から1年半かかって先日よーやくサンドイッチ屋の釣り銭にもらった43番目のアイダホ硬貨は
1年半流通しまくって使われまくって傷だらけになっていて
アラスカ・ハワイはもう少しマシな状態で確保できるといいな。
あとの47州は私が貯金箱に放り込んだ時点ではピカピカの銀色だったけど
普通に手垢のついた状態で放置していたせいで、古い物から徐々に錆が出ちゃってる、
まあそれも味のうちではあるけどね。
50枚の中で、私が好きなのはメイプルの樹液集めの様子を描いたバーモントの硬貨。
桃の果実のジョージア州も捨てがたい。
苦手なのは牛のドクロ柄のモンタナ州と、泰山木の巨大な花が微妙に癇にさわるミシシッピ。
本物の泰山木は嫌いじゃないけど、夫の好きな樹で、庭に植える候補の1つでもあるのだけど、
あの絵はどーも受け付けない…
(そーだよミシシッピなら鰐さんの絵にするべきだったんだよ。by拓ちゃん)
ま、好きも嫌いも、貯金箱に放り込んじゃってる今の状態では何も関係なし。
50枚揃ったら、段ボール加工して展示枠でも自作しようっと。
そりでは皆さん、2008年もいろいろありがとうございました。
2009年もどうぞ宜しくお願いいたします。
100000
11月最初の日曜、我が家の愛車「すーぱー草履号」の走行距離が、10万マイルを突破した。
道路上の小さなデコボコのおかげで車が揺れ、「その瞬間」の動画撮影には失敗してしまったけれど
99999マイルと100000マイル、各々の静止写真は(比較的)綺麗に残せたからよしとしよう。
10万マイル≒16万キロメートル≒地球4周の距離を(ほぼ)無事故で走ってくれた草履号にも感謝。
そろそろ買い替えを検討してるけど、でもあと少し、頑張ってね。
一方、ピカンは凶作。6個程しか実らなかった。
しかも、半月ほど家をあけ、帰ってきてみたら6個全てが消失していた。
にくったらしいリスのやろうめが。ちっくしょー。
こんなことなら、多少未熟でも出発前に?いでしまえば良かった。くすん。
来年の豊作を願う。
お馬のKevinの保護者、トリスさんが、10月半ばに亡くなりました。
トリスさんと私の出会いは、漫画家の川原泉のファンサイト掲示板でした。
川原作品『笑う大天使』に登場する「生きて動く熊のぬいぐるみ」ルドルフに関するやりとりで意気投合し
以来、約8年間のおつきあいでした。
もっとも、私の日本滞在中にお会いする際は、私は彼が連れてきたKevinや黒猫のダニーとじゃれあうのに夢中で
彼もまたウチのくますけや拓ちゃんと遊ぶのに忙しく、実は人間同士2人で話した記憶は殆どない。
と言うか、ぬいぐるみと川原に関すること以外では話がまるでかみ合わない2人でした。
でも、ぬいぐるみ話はたくさんたくさんたくさんできたから…楽しかった、よ。
他人のために何かするのが好きな人でした。
わざわざ航空便で川原の新刊をダラスまで送って下さったこともありました。
本を受け取った私は「喜んで頂けたら嬉しい」という彼の言葉に乗っかって「喜んでやるから嬉しく思え」とふんぞり返り
トリスさんは「喜んでくださって有難うございます」と私に礼を言う…とっても奇妙な関係でした。
下手にお礼の品など送ると、お礼のお礼を送って寄越しかねないような人でしたので
帰国時の手土産以外、私がトリスさんに物を送った事は確か1度だけしかありません。
トリスさんが何より忌み嫌ったジョージ・ブッシュ(子ブッシュ)の日めくりカレンダーでした。
トリスさんの嫌がる顔を見るのが私の楽しみ。トリスさんが期待通りにとても嫌がってくれたので私はとても嬉しかった。
トリスさんが嫌がってみせてくれることで私は喜び、自分の行為によって私が喜ぶのでトリスさんも幸せ。
物凄くややこしい、わけわからん関係でした。
お友達、だったんでしょうか、私たちは。トリスさんは私をどう思っていたのか。あんまり自信がない。
ただ、私がトリスさんを好きだったことだけは間違いありません。
川原の新刊が途絶え、トリスさんが「本くれる便利な人」じゃなくなっても、私はトリスさんが好きでした。
あの人と川原話・ぬい話をできなくなるのは寂しいです。
でも魂の存在には国境がないらしいから(川原泉『フロイト1/2』白泉社)
提灯作って、ダラスのリユニオン・タワーの根元あたりに売りにきてください。
トリスさん亡きあと、Kevinがどうなったのか、私は知りません。
ご遺族に連絡を取ってKevinを引き取らせて頂くことも考えたけど
きっとKevinの心は既にトリスさんと一緒に空に上って行ってしまっているだろうし
ヌケガラになった、かつてKevinだった茶色い布だけを受け取っても意味は無いように思え、
(というのは言い訳で、実のところ、ご遺族にどんなご挨拶をすれば良いのか全くわからず、)
結局、Kevinのための行動は何もしませんでした。できませんでした。
Kevin、ガラクタとしてゴミに出されてしまったろうか。写真と花と煙草と一緒に仏壇に飾られているんだろうか。
いずれにしても、ぬいぐるみにとって幸せな状況とは言えないな。
でも、肝心のKevinの「心」はトリスさんの側で幸せにしてるだろうから、気に病まないことにしています。
そういや昔、ドリーさんたちと「人間の死後のぬいぐるみの魂」についてお話をしたとき
つん太は「由里姉ちゃんが死んでも、ぼくは生きる」て言ったっけな。
由里姉ちゃんのことを思い出してくれる人が誰もいなくなったら由里姉ちゃんかわいそう、
だからぼくが、いつまでもいつまでも由里姉ちゃんを覚えていてあげる、って。
でも、トリスさんをずっと忘れずにいる人は、Kevin以外にも大勢いる。
だからKevinがあっちに行ってしまっても大丈夫なはずだ。
Kevinよ、安心して、そっちでのんびり暮らせ。
でも万が一、心身ともに「こっち」に残っているんなら…何らかの方法で、私に声を届けておくれ。必ず迎えに行くよ。
(但し前回の滞在のようなお客様待遇はしない。うちの子として手荒に扱うぞ)
あいすほっけ開幕
私たちが対シカゴ・ブラックホークス戦(プレシーズン)を見物に行った、その日の午前に
日系カナダ人サワダ君は下部リーグに落っことされてしまいました。
結局、本番の氷には立てずじまい。私は練習でしか彼の姿を見られなかった。残念だったな。
でも、いま一軍登録されてる選手の誰かが不調になったり、怪我したりしたら、機会はあるよ。
という発言はチームのファンとしては縁起が悪過ぎるので自重するけれど
ええと、今一軍で頑張ってる選手以上の力をつけて、技を磨いて、1日もはやく昇格して来て下さい。
楽しみに待ってます。(デビューが私たちの観戦日なら言うことなし)
そして、10月10日、スターズの08-09年がスタート。
今季の私の席は、今年(昨季)のプレーオフで私が座った席そのまま。
特に希望を出さない限り、継続の客は席番号まで継続になってしまうらしい。
やがて、なんとなく見覚えのある顔のおじさんが階段を上がってきて、私の前の席についた。
試合が始まってしばらくしたら、1つ後ろの列の左から聞き覚えのある叫び声が聞こえた。
馴染みの顔に囲まれて、な〜んとなく居心地良い感じ。
社交的な人ならここで「この前も会いましたね」て話しかけて友達になっちゃうんだろうな。私にはできない芸当。
まあ、仮に人見知りしない外向的性格だったとしても、私にゃ言葉の壁があるわけですが
(社交性がないから英会話上達の機会がないとも言う)
とにかく322区P列周辺の皆さん、3月末まで(否、願わくば6月まで)どうぞよろしく。
私はフル・パスじゃないから、全試合で顔を合わすわけじゃないけどね。
どーもくん豊作
先月の半ば、本屋さんの児童書売り場の一画、知育玩具などを置いている棚で
Domo(どーもくん)のぬいぐるみを発見した。
今年は少々ぬいが増えすぎているので自重せねばと、その場は理性の人になったのだけど
私をじっと見つめていた黒い瞳がどうにも忘れられず、結局、翌週末にその子を迎えに行った。
だけど、先週は2人いたどーもくんが、今日は1人しかいない。
1人は1週間のうちに誰かに連れて行かれちゃったちゃったのね。
でも、私が欲しかった方の子がちゃんと残っていたので問題なし。
1週間も待っていてくれてありがとうねと抱きしめて家に帰った。
その夜。新ぬいのどーもくんを抱きかかえ、私は眠りについた。そして。夢を見た。
どーもくんの目が、ぼわーっと赤く光る。すーっと暗くなる。
また、ぼわーっと明るくなる。消える。点滅を繰り返す。
どーもくんが、聞き取りのできない未知の言語で何かを唱える。
と、玄関から、窓から、暖炉の煙突から、大量のどーもが1人、また1人と家の中に侵入してくる。
後から来たどーもたちの目もまた赤く光り始め、どーもはどんどん増え、
やがてどーもの増える速度が上がり、気がつけば我が家の他のぬいたちが「駆除」されて
家の中は赤目どーもだらけになっている…
…一晩中うなされ続けた私は、人生初、ぬいぐるみの「返品」を決意した。
が、幸か不幸かレシートが行方不明、どーも返品できず。
奴はそのまま私の家に居付いてしまった。
そして、その2週後。全国チェーンの超大手量販店に行った私は、どぎもを抜かれる。
ハロウィン用品売り場の通路に、巨大どーもの紙看板が立っていたのだ。
棚の中には、どーも型のチョコ、どーも型のラムネ、フランケンやミイラ男に仮装したどーもゼリー、
そしてきゃあああ、悪魔やフランケンや南瓜に仮装した小型どーもぬいぃぃぃ!!!
調べによると、その量販店の今年のハロウィンのメイン・キャラクターとして選定されたらしい。
何故どーも。何故ハロウィン。
あまりに怖い。怖すぎる。あの恐怖の悪夢は正夢だったのか。
あれから更に2週間…今、私の寝床には南瓜どーもと悪魔どーも、手提げどーも(ラムネ入り)がのさばっている。
はろうぃんまであと1ヶ月、まだまだ増えそうな予感。
どんなに大勢きたって無駄だぞ、うちのテレビはNHKは入らないぞ、受信料なんか払わないぞ!
左から、南瓜の「プーキン」、手提げの「ぱんち」、元祖「ども」、悪魔の「でび」。
手提げの子、夫が「ロケットパンチ」に似てると言うんですが…
マジンガーZでなく、ウゴウゴルーガのロケットパンチかな?
私はどっちかっつうと「バケラッタ」だと思うます。
後ろに居るのは鍋つかみのオバケたち。
この他、つん太と彼の兄と姉、トトロが4匹、我が家の最大勢力は永遠にオバケです。
(でも異種オバケ同士の交流はあまり無い)
大豊作の茗荷だけれど、心の底からの幸せ♪には少々遠いのだな。
5月頃から少しずつ採れ始める我が家の茗荷、
素麺や冷奴で大活躍するはずの7・8月になると、一時、全く収穫できなくなってしまうのだ。
どうやら茗荷さんにとってダラスの夏はあまりに暑すぎるらしい。
9月半ば過ぎ、少し涼しくなると再び「雨後の筍」状態になるけど、もう素麺の気分じゃないし。
来年は一部を鉢植えにして、夫の会社に持って行ってみようかという計画をたてているところ。
社内は冷房がよく効いてるから、うまく行けば8月の茗荷が採れるかもしれない。
鉢ならば周囲からの薬剤流入も防げるし。
寒すぎて駄目・日照不足で駄目となったら潔く諦め、素麺には初夏に摘んで凍らせた茗荷で我慢しよ。
まず、13日はサイン会。
今年は私が1番好きなZubyと2番目に好きなRobidas君のサインを獲得できたので非常に嬉しい。
Zubyは年齢的にそろそろ引退しちゃいかねない、下手すりゃ今年が最後かも?と少々焦っていた私なのだ。
Richardも欲しかったけど、彼はまだ数年はウチにいるだろうから、急がなくていいや。
この会場で「プレシーズンマッチの無料券あげます、抽選で選手のサイン入りジャージも当たります」に応募。
ジャージはどうでもいいや、予定外の試合が1個見られてラッキー♪ プレシーズンマッチだけど。
(*開幕前の非公式戦、日本のプロ野球で言うところのオープン戦)
翌週末(20日)はトレーニングキャンプ2日目の公開練習を見物。
今年は日系カナダ人のサワダ君が初招集されたので、その姿を見るのが楽しみで楽しみで。
日系何世に当たるのか不明、日本人の血の濃さも不明(少なくとも露骨なアジア顔ではない)、
沢田なのか澤田なのか佐和田なのかその他のサワダなのかも不明、第一彼は日本語話せないらしいし、
それでも1/8か1/16か例え1/32でも日本人の祖先が居て日本姓をもつ選手がダラスに居てくれるのは嬉しいです。
ま、練習を数十分間見た限り+ド素人判断ではまだまだ下手っぴ、
一線で活躍できるのは数年先っぽい雰囲気だったけどね。
27日はまたも公開練習。
先週のは練習場での練習だったけど、今日のは本物の競技場での練習。
ゴール裏の最前列の席に陣取り、弾丸のように飛んでくるパックに「ひぃっ」「ひぃぃぃぃっ」と悲鳴を上げて
すっげえ楽しかった。
この席、料金表に値段が載っていないキョーフの「時価」席なのよね。
しかもカネさえ出せば誰でも買えるという物ではないらしく、私たちは試合本番では絶対に一生座れないであろう席。
例え練習でも、飛び交うパックをこんな席で見ることができて滅茶苦茶に嬉しかった。
そして、ここでまたもやプレシーズンマッチの切符を獲得。
常識的に「ペアーでご招待」なので、夫が2枚・私も2枚貰っちゃって、でも両方同じ日の切符だよ。
夫が会社に持って行けば、引き取り手はいくらでもいるけれど。
(後日、ささやかな菓子になって返ってきたりしたらチョーらっきー^^)
公式戦の切符も配っていたけど、生憎どうにも私の都合のつかない日付の試合。これも社内で処分だな。
そしてその日の夜、サイン会のときに入手したタダ券でプレシーズンマッチの見物。
3階席とは言え、巨大な氷塊と同じ空間だもん、会場内は結構寒い。
で、数ヶ月ぶりに長ズボンを穿いたのだけど、………ぼたんが。きつい。
上から羽織るジャージーの丈が膝くらいまであるのをこれ幸いと
ズボンの前を全開にしたままで試合観戦&駐車場往復^^
でも、いくら前を開けても腿の窮屈さには全く変わりがないわけで
こりゃやばいぜよ、早急にどうにかせねば…
とりあえず次のタダ試合(木曜)は半ズボンに膝掛けで凌ぐかな。
あづい
暑かった、という以外に記憶のない8月。
水羊羹たべたい。蜜豆たべたい。冷やし中華たべたい。でも作る気力がない。
仕方がないから、ダラスじゃ比較的老舗な部類で比較的マシな味の寿司屋に冷やし中華食べに行った。
(寿司屋で冷やし中華。いぇい♪
秋刀魚塩焼きも天婦羅セットもカツカレーもあります。オムライスは無かったと思うけど。)
でも、注文取りに来た姉ちゃんに「ひやしちゅーか下さい」と言ったら通じなかった。
かなり日本人に近い顔立ちの人だったけど、日本語話せない日系人か、中・韓の人だったのね。くすん。
冷やし中華には寿司種?の生魚が3種類、野菜スティックかと言いたくなる棒状の胡瓜ほかが乗っかって
とてもじゃないがまともな冷やし中華には見えない。
でも麺と汁の味は日本の標準的な冷やし中華に近い物だったので勘弁してやろう。
メニュー見てたら鍋焼きうどんを発見できたから、冬になったらまた行こうかな。
(鍋焼きのある店を4年間探し続けて1店も見つからなかったの。)
大西部一周/後拾遺集
アメリカ西部の「主な」国立公園は、04年の夏に一通り見物してあります。
ザイオン、グランドキャニオン(但し人気薄の北崖)、アーチーズ、ブライスはしっかり歩いて満喫したし
キャピタルリーフとモニュメントバレー(*これは国立公園じゃない)も車窓からは眺めた。
でも、その他にも、そこいらには細かな国立公園・国定公園が無数に散らばっているので
その中から幾つかを摘み上げて見てやろうじゃないか。
という方向で組み立てたのが今年の夏の旅行です。
出発前にざっと予習した印象は、はっきり言ってどの公園も「しょぼい」。
所詮は「主な公園」に数えて貰えない雑魚どもってことでしょうか。
期待し過ぎたら泣きを見そうなので、何も期待せずに出発。
あは、ぬいぐるみたちが逃げちゃった。3匹しか来ないって…
散策用の小道の途中の岩の上に、キレイな緑色の大きなトカゲがいました。
体全体にちらばる黄色い斑点と、首に巻かれた2本の黒い筋……これは!
『**の歩き方』に「この公園に生息する」と紹介されてるエリマキトカゲじゃないかしら?
『歩き方』には写真は載ってないけど、文章で示された外見の特徴はぴたり一致する。
「危険を感じるとエリを立て、2本足で走って逃げる」と書いてある。おおおっ!
夫と2人でおおいに盛り上がり、蹴飛ばす真似などして威嚇してみたら
トカゲ君、あの襟を広げることなく、4つ足のまま岩陰に逃げ込んでしまいました。ちぇっ。
…でも考えたら、あの80年代半ばにもてはやされたヒョウキンな直立トカゲは
オーストラリアだかニュージーランドだかだけに住む珍種だったはず。
アメリカの国立公園にいるわけがない。
帰宅してから調べたら、やっぱり『歩き方』はほら吹きでした。
直立トカゲの英名は「Frill-Necked Lizard」、
化石の森に住む、私が見たトカゲは「Collared Lizard(クビワトカゲ)」。
collared=エリを巻いたと訳した人の気持ちも判るけど、互いに全く別の生き物よ。
歩き方なんか、もう信じない。(でも適当な邦字の案内書って他にないのよねー)
もう1枚の写真は、トカゲの話とは無関係に、園内にやたら大量に生息していたカラス。
私ら夫婦の他に誰もいない展望台で巨大カラスの大群に囲まれて、本っ当に怖かったんだからぁ。
カラスの「じゃん・バレー」(手前)も怯えてました。
熊の下の丸い板を拡大(左)。そして遠景(右)、カメラは変わりましたが、熊はまだ十字交点にいます。
ここは「Four Corners」、ユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコの州境線が十字に交差する所です。
彼は、4つの州を1度に踏むという芸当の最中なのでした。
左手がニューメキシコ、右手がアリゾナ、左足コロラド、右足はユタの大地を捉えています。
米国内で4州がこうして1点で接する所は他に1つもないので、これで結構な有名観光地です。
ここでしか撮れない貴重な記念写真を残そうと、私の後ろで大勢の人が順番待ってます。
自分の番がやってくると、一番多いのは熊と同じ4つ這いで4州を踏んづける人。
バレリーナを夢見る年頃の小さな女の子たちは4州のまさに交点で片足つま先立ち。
飼い犬の足を4州に置かせようと苦心してる少年もいました。
車椅子のおじさんは4つの車輪を4州に置いてパチリ、
4人家族は各州に1人ずつ立ち、全員で手をつないでにっこり。
そんな中、うちのテディ・ルーズソックスは何故かやたら人々にウケていました。
私に無断で堂々と隠し撮りしてる人、いたぞー。
本ぬいが「わたくし、にんきもの」と喜んでるので、文句つける気はありませんけどさ。
このあと一行は、ユタ州のモニュメント・バレーへ。
そこにたどり着くために、ニューメキシコとコロラドを通過せねばならなかったです。
昼食をとれる店を探して走るうち、いつの間にか州境を越え再びアリゾナへ。
ナチュラル・ブリッジ国定公園目指してユタに戻り、
そしてその夜の宿泊地はメサ・ヴェルデ国立公園=コロラド州。
一日で、いったい何度州境線をまたいだのやら。
普段は州境表示の前でぬいぐるみたちの記念写真を撮るのが定例なのですが
この日ばかりは皆、州境なんざもう見向きもしなくなっていました。
待って、待って、待って、ようやく食事の「配給」が始まります。
700人が列になり、金属の皿を持ち、肉とベイクドポテトと煮豆とパンとを貰いに行くのです。
それに先立ち、司会者がマイクを握り、食事の受け取り方法を説明してくれました。
べらべらべらと冗談を交えつつよく喋り、喋り、喋…っていたのが、突然黙ります。
ざわついていた会場も、何故か瞬時に水を打ったように静かになり。
え、え、え、と戸惑う私に、夫がそっと耳打ちしてくれました。「食前のお祈り」。
…あたしゃ、とんでもない所に来てしまったらしい。(泣)
予約なしで当日もぐりこんだ私たちは、一番の末席、700人の列の最後尾。
30分も待たされてようやくありついた食事の味は…う〜ん。
献立の選択肢が「牛か鶏か」しかない分、それぞれは万人ウケする超無難な味つけで
とりあえず際立った不満は無しに食べられたので、良しとしましょう。
皆がほぼ食べ終える頃を見計らい、ショーが始まります。
うぎゃあ。うぎゃあ。うぎゃあ。忘れさせてくれ。
アメリカ人が大爆笑しているコメディが私には全く聞き取れず、
英語自体の聞き取りはできた夫も、その話の何処が可笑しいのかは理解できず、
会場中が手拍子たたいて合唱してる歌も私たちの知識の外(唯一の例外:赤い川の谷間)、
蚊に刺され、寒さに震え、ブリキのカップの継ぎ目から漏れたコーヒーが膝を濡らし、
何とか1時間は耐えたけど、余りに居心地悪過ぎて、最後はトイレに立つふりして逃げて来ちゃいました。
悪いのは事前調査しなかった私たち。歌ってたおじさんたち、本当にごめんなさい。
…で、真っ暗な夜道を1時間かけて宿に戻ったら、洗濯室は利用時間を過ぎてしまっていて
わはは、明日着る服がないよ。さいてー…
私の取った「鶏」の皿…お豆はいい味でした。そして、歌うおじさん5人組。ああ、心の傷だ…
*「氷雪の門」については、朝日文庫「いちどは行きたい恨ミシュラン」をご覧くらさい。当にそんな感じ。
さて、お湯に浸るのは好きだけど、ただ座っているのも退屈で
必然的に夫と2人、互いの顔面狙って水の掛け合いが始まります。
アメリカのガキどもは何の工夫もなし、掌ですくった水をばしゃばしゃ投げ合ってるだけだけど
私らは誇り高き日本人なので(?)両手指を組んで高度な水鉄砲。
ひとしきり遊んでからふと隣を見たら、白人の爺さんが私らを真似して水鉄砲を練習してた^^;
爺さんの鉄砲はどうしても綺麗に真っ直ぐ飛ばず、爺さん納得いかない様子。
お爺さん、手前の人差し指は組んじゃ駄目、ピンと伸ばさなくちゃ。その指で方向を制御するのよ。
と教えてあげたい・文化交流したい気持ちはやまやまなれど、私の英語力が邪魔をする。
真に残念でございました。
シカとエルクとマーモットともしかしたらプレーリードッグ?を見て、
5年前のロッキー旅行の際は食べ損ねたロッキーロードを食べ、
そうそう、ナバホ族居留地で食べたナバホ・ブレッド(揚げパンの一種)も美味かったなー。
首筋に火傷に近い日焼けをし、腕と足と顔も軽く焼き、
8箇所ほど蚊に食われ、右足の第2指に小さめのマメを作って潰して帰ってきました。
楽しかったです。来年はどこ行こう?燃料費が下がるといいな…。
写真は、ロッキーの売店で私の手中におちたナキウサギの「コロ」の後姿。
やたら雷に見舞われた旅だった為、ナキウサギの英名pikaとかけ「ピカ・ゴロー」と命名したですが
どっちかっつうと女の子な顔なので五郎じゃ可哀想かなと濁点外してやりました。
コロラドのコロと重なったのは偶然だす。
塀を新調したよ。へえ。
強風で、裏庭を囲う塀が倒れた。
この家を買ったときに設置されていたのは一番安い種類のおざなりな板塀で
引越し荷物が片付いて落ち着いたらちゃんとした塀を立てないとね、と話していたのに
夫婦そろって面倒くさがり、ついでに金欠、ついついそのまま放置してしまった。
1、2年すぎた頃から雨水がしみ込んで支柱が腐り、日にたたかれて板も反りだした。
これは本気で何とかしなきゃいかんねと話し合いつつ、矢張り面倒なので先延べにして数年。
そして入居から6年が過ぎたこの6月のある日の午後、
朝から吹き荒れた強い強い風に負け、ついにミシミシ・バタンといっちゃった。
せめて塗装だけでもきちんとしておけば少しは持ちが違ったのだろうけど、後の祭り。
素人目にもはっきり分かる、修繕不能・全取替え状態だった。
庭の内側に向かって倒れたので、たまたま通行中の他所様の車を傷つけたりはせずに済んだ。
でも、裏通りから、荒れ果てた庭が丸見え。とてつもなくみっともない。
近所のガキが侵入して落っこちて裁判沙汰になるようなプールは幸い保有してないけど
口に入れたら危険な除草剤や殺虫剤は庭の隅に放置してあるから結局まずい。
もちろん防犯上の問題もあるから、流石のものぐさ夫婦もこの状態のまま放置はできない。
しぶしぶ業者を呼んで、見積もり取って、塀の高さや木の種類や仕上げ加工の詳細を決めて発注。
業者が来て帰り、来て帰り、来て帰り、撤去した古い塀の残骸を処分すべく市に連絡し、来てもらい、
はああああ疲れた。(←夫のせりふ。私はほとんど何もしてない)
新品の塀は、10年前に住んでた埼玉の3DKのアパートの家賃1年分くらいの値段になった。
たかが塀なのに。うーー。
人生初挑戦のドリアンは恐れた程には臭くない。案外美味しかった。
とは言え、やっぱり、かなり匂う。しかも濃厚。
私は一口、夫も三口ほどで降参してしまった。
残った8割近くは密閉容器に入れ、更に二重にしたビニル袋の口を縛って冷凍庫へ。
そしてそれきり夫も私もドリアン容器に手を伸ばすことは無く
アイスクリームも昆布もパン粉も、冷凍庫の中の物すべてに少しずつドリアン臭が移ってゆく…
誰か食べにこない?
でも、コナンを信じるから、10年待てば地球には緑が戻ってくることも信じるの。
10年後を祝って、明日は何か特別料理を作ろうか。
ええと、干しカエルとか。
ベトナムスーパーの魚売り場の水槽に食用カエルがいっぱい沈んでたから
あれを買ってきてみようかな?
(剥き身はあちこちで売ってるけど、生きたカエルは初めて見た。
カエルの足のフライのレシピは持ってるけど作った事はもちろん無くて
だけど食べたことなら、ちゃんとある)
また来年。
各種迷信、おまじない、果ては生贄のニワトリ騒動まであったNHLの西地区決勝。
結局の所、デトロイト相手に2勝4敗。夢は叶わなかった。
力の差を考えたら、2勝できただけでも御の字。
まして、わしらの鬼門、デトロイトのジョー・ルイス・アリーナで1つ勝たせていただけて。
負けた試合だって、完封されたのは1個も無かったんだしな。
…でも、口惜しい。
口惜しいけど、試合後の地区優勝杯授与式は最後までしっかり見届けてきた。
杯の名?…知ーらないっと。誰もこんな物ほしくない。
欲しいのは、NHL最高栄誉のスタンレー杯だけ。
この地区優勝杯に触るとスタンレー杯決勝で負けるという伝統?があり、
敵・デトロイト主将(背番号5)も遂に指1本触れずに表彰式を終えた。
私がダラスにいる間に、スタンレー杯がダラスの町を練り歩く日は来てくれるのだろうか。
ダラスの前回の(現時点では唯一の)優勝は1999年6月19日。
私を乗せた飛行機がダラスに到着したのは1999年6月25日。
あと1週間早くビザが下りればその瞬間をテレビで見られたのに、パレードにも行けたのに、
たった6日の差で、私はその興奮の中に身をおき損ねた。
ビザを貰った時点で1番はやい飛行機をとって大急ぎで飛んできたのに、
直行便は1週間先まで満席と言われて経由便で我慢してきたのに、間に合わなかった。
スーパーで安物の売れ残りの記念マグカップを買うことしかでいなかった。
もしこのまま2度と優勝を目撃できずにダラスを離れることになったら
わし、在東京アメリカ大使館のうすのろ職員を永遠に呪ってやる。
夫の会社の駐車場の、夫が「ぼくの場所」に決めてる電燈脇には
ちゃんとうちの草履号と思しき色の車が停まってました。
会社サボって遊び歩いていないことが確認できて、めでたい。
その野口さんの住まいになるべき場所では、現在トイレが故障中。
今回のシャトル飛行中の特番では、きっと幾度も「ラバトリー(便所)」て単語が使われるんだろう。
そして私はまた夫にいじめられるんだろう。
…ラボラトリー=実験室とラバトリーの聞き分けができないわたくし。
んにゃ、むしろこれは絶好の機会。
ラバトリーとラボラトリーを同時に聴けば、違いがわかる、かもしれない。
わかるといいな。
5月・号外(5月8日)
もともと日刊であることを思えば号外の表現はどうよ、てのは置いておき。
5月4日、日曜。
NHLプレーオフ2回戦、対サンホセ・シャークス(注)第6試合。
これに勝てば4勝、我らがスターズの地区決勝進出が決まるという大事な試合でした。
注:4月の日記で第3シードのシャークスと書いたけどあれは間違い、奴等は第2シードでした。
訂正しお詫び申し上げます。
ついでに1回戦で破ったアナハイム・ダックスについて「昨年の覇者」という説明が抜けていました。
訂正しお詫び申し上げます。
試合開始は夜8時過ぎ、普通なら20分×3回のゲームは10時半頃には終わるはず。
でも、1対1の同点で突入した20分間の延長戦(サドンデス)で決着がつかず、
休憩と整氷を挟んで更に20分間の第2延長、も1つ20分間の第3延長でも互いに譲らず、
結局、我らが主将モローがパワープレーゴールを叩っこんで勝利を決めたのは
第4延長の9分03秒、なんと日付かわって月曜の午前1時24分でした。
8年ぶりの決勝進出、嬉しい気持ちは大爆発なのに、喜び騒ぐ体力は残ってない。
1回戦突破したときの「まるで優勝したみたいな」狂乱ぶりとは対照的な、静かな町でした。
疲れが限界を超えてプッツンこいた若者たち幾人かは動物に戻っちゃったような叫びを響かせてたけど。
ちなみに第4延長9分03秒という試合時間は、NHL歴代8位の記録だそうです。
スターズとしては3位記録。…うち、長い試合が多いんだ。ははは。
深夜の高速を速度違反気味に突っ走り、家に帰りついたのは2時半近く。
翌朝、夫はちゃんとふだん通りに起きて会社に行ったらしいけど
私は脱水症状でぶっ倒れてました。
いつも試合前半日〜試合中は水分を殆ど摂らず、帰宅してからガブ飲みするのに
この日は咽喉の渇きなんかに気が回らないほど疲れて眠くて、そのまま寝ちゃったんだ。
頼むから、会場の便所を増やしてくれーっ!!
次の相手は、デトロイト・レッドウィングス。
今年のリーグ戦の戦績、これまでの直接対決の記録ほか、数字の上では圧倒的に不利な戦いです。
でも、やってみなくちゃ判らない。
過去の成績だけで結果が確定するなら、わざわざ7試合もする必要ないもんね?
Go,Stars,Go!!!
あと3時間ほどで第1試合開始です…
あれから10年以上。今は生活の基盤がダラス・スターズにある感じ。
だけど、大変にお恥ずかしい放しだけれど、実は、ルールが未だに全然判ってないのだ。
とりあえず、ネットの中にパックをぶちこめば1点。
スティックで相手の足を引っ掛けちゃいけないよ、スティックで相手をぶん殴っちゃいけないよ、
スケート靴で相手を蹴っちゃいけないよ、エルボーかましてもいけないよ、
…て程度の知識だけで観戦してるのだ。
勉強する意欲はある。でも、夫が買ってきた英語のルールブックなんて私に読める訳が無く
じゃあ日本語で、と帰国時に大きな本屋を探しても、アイスホッケーの入門書など何処にも置いてない。
(東京で探すからいけないのか? もしか北海道ならフツーの本屋でフツーに扱ってる? >姉)
会場で、周りがワーッと言ったら私もわーっと言う。周りがブーイングしたら私もぶーぶー言う。
なんとも情けない限りだけど、それでも、アイスホッケーは楽しいす。
機会があったら皆様もぜひどうぞ。
情けない告白、ついでに1つ…
カナダのカルガリに、「フレームス」というチームがある。
私はこれをカルガリ「額縁ズ」だと思っていた。
スポーツチームの名前としてはちょいと異質だけど
「額縁に入れて飾れるような輝かしい戦績を残すチーム」とかいう意味があるのだと、勝手に物語を作り上げていた。
ある日、別の用件で辞書を引いてあれ?と思った。綴りが違う。
額縁はframe。カルガリはflameだぞ?
もう1度辞書を引く。…あーっ!中島みゆきの♪ふれーめん何たら〜♪、炎と水、かぁあああ!
そういえばチームのロゴ、カルガリの「C」の左側が燃えてるような形になってる。公式サイト参照
こういう縁の額なんだと思ってたよ、はああ。
ナイアガラ滝の近郊、バッファローという町に本拠を置く「セイバーズ」の名も勘違いしてた。
「Savers」守って守って敵に得点を許さないことを目標とするチームなのかな。
瀑布へ投身しに来る人を説得し救うような地域活動を支援してるのかな。
…どっちも違う。SaversでなくSabres(軍刀、サーベル)だった。はあああ。
この2つの間違いに気付いたのがNHL見始めて10年過ぎてから…だぜ。
でも、スターズが勝った翌日は必死で辞書繰りながら新聞読んだりもしてるしさ
ホッケーもきっと少しは私の語学力向上に役立ってると信じたい。
1匹だけなら摩周麻呂
今月の新ぬい、一気に4匹。
復活祭が終わった後、75%引きで放出されていた兎たちです。
正確に言えば、兎を模ったマシュマロ菓子のぬいぐるみたちです。
去年、ぬいぐるみお花見でお会いした方たちには、幾つか召し上がっていただいた筈。
(や、勿論「ぬいぐるみを」でなく、その原型のマシュマロを、ね)
復活祭の代表的なお菓子の一つです。
つん太には確か食べさせたこと、無かったと思うけど
食べたがっていたのは覚えてる。
今、この子たちに会ったら、まちがいなくダッシュしてタックルしてかぶりつくでしょう、わはは。
4つ子のぬいがいたら、名前も4匹組で考えたくなるのは人情?ってもの。
イースターだから東…で、あと3匹は南、西、北、とか。
イースターだからイースト、他3匹はビール酵母、ヤクルト菌、納豆菌とか。
イースターだから椅子太、残りは机太、棚太、箪笥太、とか。
杏里・朱里・樹里・悠里、美花・由花・里花・流花、
みど・ふぁど・れっしー・そらお。
でも、よるとしなみのせいか近年とみに記憶力の低下しているわたくし。
凝った名前を付けてやってもたぶん覚えていられない。
どの子が東でどの子が北か、絶対に判らなくなる自信がある。
(夕焼け色の西と、太平洋色の南は頑張れば思い出せそうだけど)
で、この子たちには悪いけど手抜きして、思い切り単純にいくことにしました。
みみちゃん、むむちゃん、ももちゃん、ききちゃん、です。
そんな名前で区別がつくのか?揃えるなら4匹目は「きき」でなく「まま」か「めめ」じゃないか?
「大丈夫」「仕方ないじゃん」が答えです。
水水ちゃん、紫紫ちゃん、桃桃ちゃん、黄黄ちゃん、なので。
あまりに酷すぎた命名ゆえか、本ぬいたちはやはりこの名があまり気に入ってない様子。
勝手に自分たちで「黄れんじゃー」「青れんじゃー」「桃れんじゃー」と名乗ってます。
4匹目の紫君は「むられんじゃー」
…君らのせんすだって充分ひどいぞ^^
てことで、この4兎(4マシュマロ)たちをどうぞよろしく。
量販店で、それでも未練がましく柑橘系の鉢植えの並んだ通路を歩いていたら
なんと、こんな物まで売ってるのね。仏手柑の鉢を発見してしまった。
これは!1年で枯れてもいい、1度でいいから食べてみたい。
ずっと前に一度だけ、スーパーの果物売り場で見かけたけれど
確か1個で数十ドル。とても手が出なかったと記憶してる。
この鉢植えに今ついてる沢山の蕾が、咲いて、実を付け、きっと大部分は落果して、
でも、仮に1個でも大きく育てば、それで充分に採算が合うぞ。
んにゃ、例え全滅して一欠片も口にできなかったとしても構わない。
育ててみたい。如何にしてあんな珍妙な形の果実が出来上がるのか、観察してみたい。
丸い果実に突起がそれが伸びるのか、長細い果実が裂けて分かれて指状になってゆくのか
その過程をこの目で確かめたい。
結局、合意なんか無視して連れ帰ってきました仏手くん。
健やかな成長を願い、愛情込めて名前をつけてやりました。ジョージくんです。
来年1月の就任演説まで枯れずにもてよ…
で、その大事な出張を蹴っ飛ばしてまで応援に参加したプレーオフ。
1回戦、第4シードのアナハイムを4勝2敗で破り、5年ぶりの2回戦(地区準決勝)進出!やほお!
続く2回戦は第3シードのサンホセ・シャークスに4勝0敗、すいーぷ!すいーぷ!!
(↑予定稿を書いてから30日の夜の試合に行ったら負けた。3勝1敗。次で決めるぞーっ)
立ったり座ったり、腕を振ったりぶん回したり、ふだん使わない筋肉が痛いですが
拍手し過ぎで掌も痛いし、叫びすぎて声なんて枯れちゃってますが
8年ぶりのカップ決勝進出と9年ぶりの優勝を信じ、6月半ばまで戦い続けます。
れっ、ごー、たーーーーっ!(←Let's Go Stars が発音できないのでこう叫んでいる)
春の憂鬱
毎朝、庭に出てタンポポを摘む。
両手に持ちきれないほどたくさんの、小さな黄色い花。
庭を1周し終える頃には、私の目つきはかなり凶暴になっている。
鼻息荒く、うなり声たてながら、摘んだ花をごみ袋に叩きこむ。こんちくしょーっ。
明日咲きそうな蕾も、まだ硬く小さな蕾も、見つけ次第片っ端から全部むしっているのに、なぜ毎日咲くんだ。
咲いてる花を引きちぎり、萎んだ花もむしり取り、なのにどうして、こんなに毎日ふわふわ綿毛が揺れてるんだ。
芝は育たないのに、何でタンポポばかりが根付くんだ。
躑躅が枯れ、梨が枯れ、桃が枯れ、だけどタンポポだけは年々増え続ける。
タンポポ憎い。
狭くてもいい、自分の庭の無いアパートに戻りたくなるよ。
そしたら、素直な心で可憐な花を愛でられるのに。
はあ……
昨年の春頃から、一部の人が、2度の STARS に加え冒頭 Oh, say can you see の you see でも声を出し始めた。
最初は意味が判らず首を捻ったが、2度目に聞いて理解。
ダラスには、Jussi Jokinen という名の選手がいるのだ。
母国(フィンランド)の言葉で正確にどう発音するのかは知らないが、ダラス英語ではユーシと読まれる。
you see と Jussi を掛けてるわけだ。ほほお。
you see / Jussi はカタカナのユーシでほぼ大丈夫なので私としては好都合。
3度目からは、私も一緒になってユーシー!と叫んで楽しんでいた。
のに。
今年2月末、その ユーシはトレードに出されて他チームに移ってしまった。
ユーシのいない試合で、you see! を叫ぶ客はもう誰もいない。
さみしいなあ。つまんないなあ。
STUという選手に対する「sTUUUUUUUUU!」という名物?掛け声もあるけど
これまた私はTUUUUU部分しか参加できなくて淋しいかぎり。
カタカナしか喋れない私も仲間に入れる新しい遊び、始まらないかなあ…
せめてツナ缶欲しかった
春の嵐で停電した。
5分10分の短い停電なら年に数回は普通にあるし、落雷に伴う瞬断はもう日常茶飯。
でも、今回のは長かった。待っても待っても電気が帰って来ない。
さあ困ったぞ。掃除洗濯ができなくなった。(拭き掃除なら可能だけどヤル気ない)
いつまで停電が続くか判らない以上、あまり無闇に冷蔵庫を開けたくないから
野菜を刻んで肉に味付けて晩飯の準備を始める訳にもいかない。
ほんじゃ家事は本日休業ね♪と遊びに精出そうとすれば
パソコンは電源が入らない、昼前だってのに真っ暗で灯り無しでは本も読めない。
暖房が消えた家の中は少しずつ寒くなりだした。
仕方無い、布団に潜って懐中電灯で漫画を読む。とっても馬鹿っぽい。
だんだん腹が減ってきた。もう昼飯時である。
こいつは非常に困った、何を食べよう、どうやって料理をしよう。
うちのガス台は電気が止まると火花が飛ばず、着火しないのだ。
マッチは常備してあるけど、私は奴とは相性が悪く、極力さわりたくない。
電子レンジやトースターも使えないし
バーベキューの道具なら揃ってるけど、こんな天気に外に出たくない。
冷蔵庫を開けられるならトマトや大根を齧って飢えを凌げるのに。
水煮筍の缶詰ならあるけど、そのままじゃ食えないな。
生麦、生米、生じゃが芋、あんまし嬉しくないな。
朝食用のシリアルもあるけど、牛乳無しだと少々つらいし(牛乳は当然、冷蔵庫)
諦めて即席めんを生でばりばり齧って昼飯にした。
たぶん今年で一番哀しい食事。
あらかた食い終えた頃、部屋がぺかーっと明るくなった。
おかえりなさい電気。ほぼ1時間10分のご無沙汰でした。
あとちょっと待ってれば、もう少しマシな昼食がとれたのに
口惜しいからマグカップにお湯を入れて、即席めんのスープをといて飲んでやった。
お腹の中で、美味しいラーメンになぁれ。
新年初笑い
去年の暮に買った今年の壁掛けカレンダーの1月(抜粋)です。何と申し上げたら良いのやら^^
1日から31日まで、1ヶ月全ての曜日が1つずつずれてるとかよりはいいと思うけど。
祝祭日が正しくなかったり、4月が31日まであったりするのも困る。
12月が30日までしかないカレンダーは実際に一昨年つかまされたし
このカレンダーの祝祭日も、間違ってはいないけど、すごく勘違いし易い表記だし。
写真、21日が何かの日に見えるけど、それは26日(もとい28日。21日の翌週)の注記なの。
頭の中で、短い縦線を下の線まで延ばし、升目を作って見なきゃいけない。
そんなのと較べれば、この26日は間違いなのが一目瞭然な分、まだ罪が軽い……かなあ???
ちなみに今月と同じ曜日配列の4月と7月も26日が2回存在しています。
も1つついでに、写真左端の茶色い物体は「DOMO」(どーもくん)です。
受信料払ったこと無いくせにMHKキャラ物(USA製/正規許諾)を買ったバチが当たりましたかね。
くしゅん。
なんなわけで、今更ですが明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしく。
交渉の末、出張の前にデスバレー観光をひっつけることで合意した。
ベガスから車で3時間程度、ちょいと足を延ばすには適当な距離である。
大好きな国立公園への飛行機代を半額(夫の往復分)会社が持ってくれて
往復にかかる無益な時間に貴重な有給休暇をつぎ込まずに済み
ベガスの宿は会社払いで思い切り贅沢、豪華な食事も夫の分は会社負担。
こんなオイシイ旅行なんだから、ベガスでの少々の退屈くらいは我慢してやろお!
てわけで、6泊7日のデスバレー&ベガス旅行にいざ出発。
あ、出張ついでの家族同伴私的旅行は会社公認なのでご心配なく。
領収書は厳密に分けないと怒られるけど。
アメリカで一番地獄に近い谷
さて、カリフォルニア州、デスバレー国立公園である。
猛暑大好き!な私は、8月の最高気温が平均で45℃というこの谷にずっと憧れていた。
1月はデスバレーの気候が年間で最も穏やかな時期だそうで少々残念。
仕方無い、車のボンネットで目玉焼きを作るのはまたの機会にお預けってことで
今回は普通に観光を楽しみましょ。
まずは園内一番の見もの、Badwaterへ。
海抜マイナス86メートル、合衆国で、そして西半球全体で最も標高の低い場所だ。
夏の馬鹿げた暑さがなければきっと死海のような湖になるのだろうけど
四方の山々から流れ込む水は全部蒸発しきってしまうので
あとに残った塩分だけが結晶化し、広い湖底(になるべき地帯)にごろごろ転がっている。
ちょいと奇妙な風景である。
某お坊ちゃんが来たら、塩より砂糖の結晶の方がいいと言うだろうな。
『地*の*き方』に「苦い」とあるので、確認のために結晶を少し削って舐めてみたら
そのままボリボリ齧って食べられそうな穏やかな丸い塩味だった。
不法採取して帰っても、残念ながら料理には使えなさそう。
湖畔の駐車場付近の標高は、正確には海抜マイナス85.5メートル。
マイナス86メートルの本当の谷底は、駐車場から北西方面に6kmほど歩いた地点なのだという。
固い塩が多少ごつごつしているが、ほぼ平坦な湖底、往復12km歩くこと自体は容易い。
が、不幸にして、私たちが持っている磁石は拓ちゃんの首に下げた玩具2つだけ、
それぞれの針が90度違う方向を「北」と示している状態で^^何の役にも立ちやしない。
んにゃ、仮に磁石が正確でも、北西「方面」に「約」6kmて、あまりに曖昧すぎる。
先人たちの足跡が湖の奥に向かって道のように続いているのを辿ってみたが
5分も歩かぬうちに足跡がバラけ、道は消えてしまった。
そこから先はもう打つ術なし。
公園主催「レンジャーと一緒に湖底を歩こう」の行事にでも参加しない限り
素人2人じゃ何時間歩いても「そこ」には辿りつけないだろう。
口惜しいけど、湖底到達は断念することにした。
が、とりあえずアメリカの底の近くまで来たことは間違いない。
03年の本土最南端、07年の本土最西端に続き、アメリカの端っこ征服3方向目♪
本土最北端と最東端にもいつか必ず行くぞ。
最高峰はどう考えても無理だから本土一のビル展望台あたりで妥協かな?
写真左:海抜マイナス85.5メートルの谷底で。
東京で一番地下深い六本木の駅が(地表から)42.3メートルらしいから、ほぼ2倍だな。
写真右:公園内のよろづ屋(写真奥)で拉致した3ぬい、
蝙蝠の「どすえバレー」、烏の「じゃんバレー」、ビッグホーン羊の「だべさバレー」。
マイナス86メートルの谷底を歩いた後は、車で一気に1669メートルの山に登る。
展望台から谷底を見下ろしたら、次は再び海面下の世界へ。
真冬の数ヶ月間だけ水を湛えるという小さな湖に指を突っ込んで舐めてみたり
(海水の5倍の塩分濃度と解説があるが、実際には海水の方がきつい味だ)
大理石の巨岩を川の流れが削って作った天然滑り台の中を迷い歩いたり
(私が育った団地の公園のコンクリの「しろやま」にそっくりだ!)
広い広い砂漠の丘を延々歩いて橙色の地平線に沈む金色の夕日を眺めたり
(あっちもこっちも足跡だらけで風紋がろくに残ってないのがとても残念)
宿に戻る途中、虫の声も鳥の声も聞こえぬ完全な静寂の野っ原の隅で車を停めれば
真っ暗な空に星があんまりたくさんありすぎて、オリオンの三つ星が見つからない…
グランドキャニオンやイエローストーンのような派手さは無いけど
しみじみ、来て良かったなと感じた。
砂丘を這い登るぬいたち(写真左)と、砂風呂を楽しむ米蔵求肥丸(同右)。
米蔵には止めろと言ったんですが^^
幸い砂の粒子よりも編み目が細く、体内に砂が入ることはありませんでした。
アメリカで一番破産に近い街(含む:偏見)
デスバレーに2泊した後、3日目は途中寄り道しながらラスベガスへ。
日本式ラーメン屋で昼メシをとり(ダラスと較べたら許容範囲内な味、範囲外の値段)
午後からは東に車で小一時間、ネバダ/アリゾナ州境のフーバーダム観光。
映画『トランスフォーマー』の舞台の1つということで興味を持っていたのだけど
なんつーか、馬鹿でかいばかりで美しさの欠片も無いダムだ。
やっぱり黒四ダムは凄げえよなーあれは芸術だよなーとは夫(富山県人)の弁。
ここは時間を損したかな?
でも、来なきゃ大したこと無いのも判らなかったんだし…まあいいか。
そして、残るは地獄の責め苦のベガス4泊5日間。(夫の仕事が1日増えやがった!)
04年の国立公園帰りに1泊し、もう絶対に来ないぞと決めた、大嫌いな街である。
ホテルは1階のカジノに紫の煙が充満し
なのにそこを通り抜けないと宿の居室に入れない構造なので心底腹立たしい。
英語が判らないからショーの類もつまらないし
全米屈指のお買い物街てっ言ったって、服飾方面に興味のない私には無用の長物だし
いったいこの街でどうやって中3日間も潰せというんだ。あああ。
とりあえず初日、宿から小一時間歩き、私の大好きな大好きな玩具屋「FAO Schwarz」に行く。
ダラスでは数年前に店を畳み、全米でももう3店しか残っていない貴重なFAOである。
ぬいぐるみ売り場をくまなくうろつき、1匹ずつ手にとって挨拶して回り、1日を終えた。
翌日もまたFAOを訪ね、前日に良い感触のあった子数匹とじっくり触れ合って過ごし
そして結局、つややかな茶色い毛皮をまとったクマの「ちゃば」を宿に連れ帰った。
(ベガス→ベガルタ仙台→仙台と言えば正月初売りの茶箱→…。彼の毛色は無関係)
最後の1日は、我が家のライオン「らち」を連れてMGMグランドホテルに行き
ホテル内で飼育展示されている本物ライオンの前でらちの写真を撮ってやる。
1階ロビー中央の金色のライオン像の前でパチリ、表の巨大ライオン像の前でもパチリ。
大通りに並ぶスフィンクスや自由の女神やエッフェル塔の前で米蔵求肥の写真を撮り歩き
そして残った時間は、結局またFAOへ。(いい加減、店員に怪しまれていそうだ)
こうしてラスベガスの3日間はなんとか終了…もうこりごり。
例えグランドキャニオンと抱き合わせだって、ベガスなんか2度と行かないぞ。ふん。
ベガスで良かったのは、「夫の分は会社払い♪」と派手に楽しんだ晩飯。
最初の夜は、食い放題形式の日本食屋へ行った。
あの値段で、あの品揃え、あの接客、自腹だったら相当に腹が立ちそうな店だったけど
味は、アメリカで食べるジャパメシとしては比較的マシな方だったんじゃないかな。
寿司の蛸は解凍に失敗した感じでスカスカだったけど。
天婦羅を欲張って南瓜・薩摩芋・海老と3種取ったら、油が回って気分悪くなったけど。
でも、穴子????の太巻きは甘く柔らかく下品で気に入った。
そこで食い過ぎたので翌日は軽く流し
3晩目は、テレビで料理ショーをやってる有名シェフの名を冠した店へ。
料理人なのか芸人なのか区別のつかん中途半端な奴は日頃から軽蔑しているので
実はこの店にも「大したことないわね(ふふん)」と言いたいがために乗りこんだのだけど
なんというか、口惜しいが、素晴らしく美味かった。
メインの魚は衣がちと濃厚すぎ、やっぱり魚は塩焼きに限るよなとぼやいちゃったけど
最初のガンボ(ルイジアナの、オクラと米と魚介のスープ)は文句無しの絶品だった。
ガンボ一皿で普段の私の外食1回分以上のお値段^^だけど、奮発した甲斐はあったよ。
2杯3杯お替りして、ガンボだけで満腹したかった。
夫は気の毒にもガンボを取らずにサラダを頼んでしまったのだけど
奴の方は「本日のお魚」の下に敷いた、魚の味のしみた野菜の和え物が感動的だったらしい。
「野菜だけ、サラダボウル山盛りで食べたかった」って。
少し分けてあげるという夫の勧めを、ほんの一摘みの量しか無いからと遠慮しちゃったけど
やっぱり貰っておけば良かった。
ベガスにはあの!!ジョエル・ロブションの店もある。
フランス料理の味がわかる上等な舌は持ってないけど
冥土の土産話に(!)、1度は食べてみたいなと興味は抱いていた。
絶好の機会といえば機会だろう。
が、膝の抜けたジーンズに解れたセーター、穴開き運動靴では入店させて貰えまい。
昼間、準備中の店の前でこっそり撮った記念写真が生涯の宝物ってことで^^
そうそう、フツーの人がフツーにベガスに行ったら、フツーは遊ぶのだろうカジノ。
私、賭け事は嫌いじゃないけど、おまけに時間はたっぷりあったけど、
だからこそ、下手に嵌ると相当に危ないことになるだろうと自分で判っていて
夫と離れての単独行動中は、通り抜ける以外の用ではカジノに近づかなかった。
(紫煙が酷いせいもあるな)
でも、前述のように、ほんとは嫌いじゃないのである。
だから、きっちり監視してくれる夫がいて、なおかつ時間も限られる空港の出発ロビーで、
スロットマシンを1ドル分だけ試してみた。
1回25セントの機械。ドル札を入れて、4度「回す」ボタンが押せる。
前回来たときは30秒で全額(=1ドル)摩ったっけとか考えつつ、ぽこぽことボタンを叩く。
さくらんぼや7の数字のぞろ目は勿論1度も出ず、またも1分かからず終了…
のはずが、気付くと画面には「残高50セント」と出てる。な、何故?
夫と勘考するに、ひょっとして、縦横斜めに3つ並ぶのだけが当たりじゃないのかもしれない。
3度目に1個出た金色にピカピカ光る絵は、あれ単独で「オメデトウ」だったんじゃないか。
今ある50セントは、そのときの当選金だったんだきっと…
(こんな基礎知識もなしの超初心者です、はい^^)
そうと知ってりゃ、当たってる画面の前で両手ピースサインして写真を撮ったのに。口惜しい。
当たってる50セントに最後まで気付かず「惨敗(てへ)」と席を立っちゃうよりは幸せだったかな。
最終的にはその50セントもあっけなく失っちゃったけど、「当てたよ♪」という土産話はできたもん。
50セント分だけ、ベガスが好きになれたかな^^
MGMグランドホテル前で、らち。(写真左) ルクソールホテル前で、米蔵と求肥丸(同右)。
ここ見てたら、つん太に、私信。
やほおの暗証は、いつも使ってたアレとアレとアレを足したやつだ…
いつでも、好きなときに、入れ。
最古(2000年11〜12月)//2007年//2009年//最新(2014年)の日刊つん太へ