日刊月刊つん太 2011年(代理執筆・由里)

最古(2000年11〜12月)//2010年//2012年//最新(2014年)の日刊つん太へ
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12月

夫の時計も去年の9月に水に濡れて止まってそれきりだ10気圧防水だったのに
約7年間愛用してきた腕時計が止まりました。
使い捨て前提の安物時計で、電池交換はできない構造になっています。
駄目元で夫がネジを外して無理矢理に裏蓋を開けてみましたが、やはり電池は取り出せませんでした。
(ついでに蓋が閉まらなくなりました)
既にベルトは劣化して半分千切れ掛けていて、でも一番安い換えベルトですら時計本体より高いので
完全に切れたら時計が落ちちゃう、無くなっちゃう事覚悟の上でそのまま使っていた時計です。
確か購入時の説明書では平均電池寿命3年となっていたはずですし、ここまで使えばもう十分です。
ご苦労様でした、と一礼したあとゴミ箱に放り込んじゃっても構わないでしょう。
ぺこり。(あいや、まだ中に電池が)

さてしかし。日常生活の中では時計がなくともさほど困りませんが
たぶん夏休み、次に飛行機で国内旅行をするときまでには新しい時計を買っておかないと少々不便です。
ましてニッポン、成田から急行→新幹線→特急と乗り継ぐ過程で時計が無かったら相当きつい。
現時点では来年の日本行きは予定がありませんけど。
緊急帰国の可能性だけはいつだって考慮しておかなきゃならないし
仕方がないので、量販店に新しい時計を買いに行きました。
欲しいのは、「前と同じの」。
私にとって有用な機能(目覚まし、デュアルタイム、本体は絶対アナログ)は十分に備わっていて
でも邪魔な余分な機能は一切入って無くて、その分操作がわかり易くて、
ちっともオシャレじゃないけど、とっても気に入っていた前の時計。
…なんと、廃盤になってました。
似たような外観の後継機は無駄に高機能すぎて、そのせいで私の必要なたった3つの機能は壊滅的に使いにくく、
例えば「東京時間」を呼び出すのに数十回も小さなボタンを連打しなきゃならない仕様、
何より肝心の本体の時計が微妙なところで読み取りにくくなっていて
しかもお値段、倍。
何も買えずに帰ってきました。しくしく。

次の狙いはスターズの試合会場の土産物売り場にある「スターズ時計」です。
デュアルも目覚ましもついてなくて、お値段は数十倍、でも文字盤にスターズのお星様印が描いてあるの(はあと)
ほとんど自棄です。大晦日、購入予定。


ダルビシュが来る(かも)
…ってだけで、いきなり日本の報道に「ダラス」「テキサス」の文字が増えた感じです。
が、ちっとも嬉しくないぞ。何なんだこの突っ込みどこ満載の記事は。
ダルビッシュを待ち受けるテキサスの「差別」と「乾燥した空気」
レンジャーズ地元テキサスの同性愛者からダルビッシュ待望論だって
まあ、ゲンダイてのがアレなわけで。真に受ける方がアレなのでしょうが。
えええと。ダラスで有色人種として(アジア人として)差別を受けたこと、ありません。
私の英語力に難があるので、例えば背後から遠まわしな侮蔑を囁かれても気づかない可能性は大ですが
少なくとも飲食店で私たちにだけ水が出ないなんてこと、ありません。
要求しなきゃ水をくれない店はありますが、それは相手が白かろうが黒かろうが水は出ない店です。
うっかり忘れられたことも幾度もありますが、あの姉ちゃんは客の国籍・肌の色など一切不問で平等に粗忽者です。
そんでヒューストンの市長が同性愛だとダラスの野球選手に何か関係あるんですか直線距離360km。
ああ頭が痛い。ダルがダラスに来ちゃったら、こういう馬鹿報道が更に増えるのかしら。
来なくていいよ、てか、来るな(この言葉尻を捕らえてまた「排他敵」とか言われんのよね)
年末ごあいさつ
1年前の大晦日、午後。
私はこちらのwebカメラで、自分が生まれ育った町の初日の出風景を見ていました。
いえ、残念ながらカメラは西を向いて固定されているため、お日様そのものは見えません。
でも、「ニッポンの初日の出の風景」は十分に楽しめるです。
海岸に集まった人たちの懐中電灯の明かりだけが点々と見える、真っ黒黒の画面。
それが少しずつ、ぼんやりと、うっすらと明るくなってゆき、
寒そうに手をこすり合わせている人間の姿がはっきりと見えてき始める。
そして、日の出。
数十人が一斉に東の水平線に向かって手を合わせ、或いは頭を下げ、携帯をかざし(写真撮ってるんだろうな)、
改めて同伴の家族や友人とお辞儀をしあい、すっかり明るくなった町へ帰ってゆく……
ああ素晴らしきニッポンの正月。
糞くっだらない芸能人のかくし芸大会(見たことない)、ろくな物の入ってやしない福袋(買った事ない)、
帰省ラッシュ(ひっかかったことない)、初詣(たこ焼きに夢中でお参り忘れたり)、
ああ、いいなあ。たまには「日本のお正月」してみたいなあ……
とか毎年言ってるけど、結局は大晦日のスターズ戦を優先しちゃうわたくし。
もしも労使交渉のもつれで開催遅延、大晦日無試合なんて年があったなら
そん時ゃきっと行きます年末年始の祖国ニッポン。
…できるなら甥姪はお年玉を卒業し、でも彼らの子供はまだ生まれてない、そんなタイミングで^^

てゆわけで。2011年ももう終わり。
つらいこと、悲しいことの多かった年ではありますが、いいことだってありました。
例えば……………川原泉がまた描き始めたとか。
相変わらず毎号きちんと落としてますが。(12月28日発売号は表紙込み10頁だってさ…脱力)
或いはええと……ダラスに吉野家ができたとか。
くだらないですが。ささやかですが。こんな幸せを抱きしめて、来年も頑張って生きてゆきたいです。
今年1年間、ありがとうございました。


11月

一瞬のできごと
ダラス・スターズの遠征試合をテレビ観戦するとき、私はいつもパソコンの「iTunes」を立ち上げています。
スターズが得点したら、即座に「再生」ボタンをクリック。
「ぷわーーーーーっ」というゴール・ホーンが鳴り響き
続いてThe Hey Song(「Rock and Roll, Part 2」by Gary Glitter)が流れだします。
本当は2点目は「ぷわっ、ぷわーーーーっ」、3点目は「ぷわ、ぷわ、ぷわーーーっ」と
点が増えるに従い「ぷわ」もどんどん増えるんですが
(7点とか8点とかの大量得点になると「ぷわぷわぷぷぷぷぷ、ぷわーーっ」と騒々しいです)
そこまでは音源を入手できなかったので点数無関係に「ぷわーー」で妥協です。
そしてめでたく勝利したらばスターズの祝勝ソング「The House Is Rockin'」(by Stevie Ray Vaughan)。
我が家のスターズ応援団(はひる団長、すち坊、じゃんバレー、テディ・ルーズソックス、金時)と共に
タオル振り回しつつ、元気いっぱいに出鱈目に踊り狂うです。
これで気分はいつだってダラスの主催試合。
ときどき、午前中に1人で聴いてた中島みゆきを選曲した状態のままになっていて
得点!クリック!!「うらみまぁ〜すぅ〜〜〜」なんて短調の歌が再生されてしまい慌てることもありますが
まあ概ね、楽しくやっております。ええ。だいたいは。

クリックする場所間違えた。
ゴーリー引き揚げて6人総攻撃を仕掛けてきたコロラドからパックを奪い、
#73のRyderが無人のゴルにシュート!スコア!!残り28秒で駄目押し3点目ーーーーっ!!
と喜んだ弾みで。
数日前から書き溜めてきた、結構な長文になってたこの日記が、
まるごと全部、消えました。ははは。
日ごろ、割とこまめにバックアップは取ってる方なんですが。
そうじゃなくても、少なくとも昨日までに書き終えてた文は保存されてる筈なんですが。
誤って削除した文だって、普通なら「元に戻す」とか「やり直し」とかを叩いて行けば復元できる筈なんですが。
不運には不運が重なるもので。
あああ。

旅行中撮り貯めた写真100枚超が一瞬で消え失せるよりはいいかぁ……


●●消えた文章のあらすじ●●
・夫の実家の町のスーパーで夫のランニングシャツを買おうとしたら半袖と長袖しか売っていなくて
 私が(正確に言えば夫が)必要としていた袖無しなんか本当に1枚も無くて非常に困惑しました。
 仕方がないので私の実家の方で探したらどこの店にも当たり前に袖無しがあり
 でも夫の町でより取り見取りだった室内用防寒着の品揃えは恐ろしく貧弱でした。
 夫は富山、私は神奈川の海沿い地域の出身です。日本も案外広いな。
・合羽橋道具街に和食器少々を買いに行き、信号待ちをしながらふと横を見たら
 思いがけず「スカイツリー」が間近に聳え立っていて意表をつく大きさで目に飛び込んできたのでびっくらこきました。
・最後に泊まった新宿のホテルではいつものように超!割引のすっごく安い料金しか払ってないのに
 10年間の利用実績がものを言って少し上等なお部屋にあっぷぐれーどして貰えました嬉しいな。
 そのホテルの近くに小さいけどスーパーマーケットができました帰国当日のパンの買い出しが楽になって嬉しいな。
 そのスーパーで398円の唐揚げ弁当を買って日本最後の晩餐に頂きました【上等なお部屋】で^^美味しかったです。
・最終日にトランクの車輪が壊れました。滑らかな地面で短距離なら何とか引いて歩けますがこりゃ買い替えかな?
 購入から約10年、太平洋を8往復させました。ご苦労様でした。次はもう少し軽いのが欲しい。
・空港免税店なんか要らないからそれより日本での最後の食事にふさわしい美味しい飲食店を充実させて下さい。
・機内食がどんどん不味くなってきて今回ついに朝食を一目見て「のーさんきゅ」と断ってしまいました。
 おかげで空腹で困ったので次回は何か腹の足しになるものを持って乗ろう。
・そしてダラスに帰りついて1ヶ月も経たぬうち、アメリカン航空、破産しました。
 今後の事態を見守らなきゃならないです。
・1泊2日で奥飛騨の温泉旅行、ついでに市内観光少々。
 高山陣屋の近くに「黒すぐりアイスクリーム」という看板を出した喫茶店があり
 これはひょっとして33年前に家族旅行で高山来たときに入った店ではあるまいか
 土産物屋街の角に建つレトロっぽいつくりのお店なのだけど姉上覚えてない???
 ガラスの器にバニラアイスを盛って上からスグリのジャムをかけてあるの、食べたよね???
 お店の人にきいてみたらお店は37年前からやってるそうです。


10月

私、この3年間1度も冷蔵庫を整理してなかったってことか…
冷蔵庫を片付けていたら、最上段の一番奥の、普段は滅多に触る事もない保存食容器群のうしろから
小さなミカンが2つ、転がり出てきました。
ミカンというか…かつてミカンだったものというか。
完璧に干からびて、重さほとんどゼロ。2つをぶつけるとカンカンと音がします。
これは、この小さな(ほとんど金柑と言ってもいいくらいの)ミカンには、見覚えがあるぞ。
3年前に収穫した、うちの庭のミカンだ。
とっても小さくて、皮なんて紙みたいに薄くって、
だから黴たり腐ったりする前に中の水分が抜け切っちゃったんだろうなあ。
なんとも愛しい。
これ、ぬるま湯に浸してやったら戻るかしら。食べられるかしら。
実験してみたいけど、そしたらこの可愛い乾燥ミカンは永遠になくなっちゃうわけで
しばらくはこのまま、冷蔵庫の守護神として、どこか邪魔にならないところに入っていていただきましょう。


ホッケー開幕
私のPanteraを返せ。
私のRRP2(The Hey Song)を返せ。
私のBillの「oooOooone minute! One minute remaining in this period.」を返せ。
生オルガンは要らぬ。
Tシャツの投げ込みは座席位置による不公平感が大きすぎるのでやめろ。
(私の安っい15ドル席が冷遇されるのは仕方ないと諦めてるからそれは構わない)
最近、同じ地元で、野球場でボールを取ろうとした観客が6m下の地面に転落死したばかりだろうに、
景品つけた落下傘を天井通路からばら撒くのも再考した方がいいぞ。
…かなり不満足な。
それでもとにかく、半年間の、(望ましくは8ヶ月間の)戦いは始まりました。
Go,Stars,Go!! 今年こそはプレイオフ進出を。
(詳しくは来月書きますが現在一時帰国中です)
その最後の瞬間を、私は実家のある町の大型スーパーの家電売り場のテレビでみました。
マーフィーの打ち上げた球がセントルイスの外野手のグローブにすぽりと収まり、試合終了。
我らがテキサス・レンジャーズ、去年に続いて今年もワールド・シリーズへの出場を果たし
そして去年に続いて今年も負けました。
あとちょっとだったのに。ほんのちょっとだったのに。
くやしくてたまりません。
まあ、個人的な趣味として去年のチームの非常識な賑やかな攻守が好きだったので
今年の教則本通りのような退屈な試合で優勝しちゃって欲しくは無かったですけども。
優勝を伝える新聞雑誌だって私らがダラスに帰る頃までには売り切れちゃうでしょうし。
祝賀パレードにも間に合いませんし。
せっかくの、もう二度と無いかもしれない優勝の興奮を生体験し損ねるくらいなら
いっそ優勝逃した方がマシってもんです。
…って「この葡萄はきっと酸っぱい」ですな。とほほ。
とりあえず、敵はちゃんと討つ。
次のセントルイス・ブルース戦には絶対に絶対に絶対に勝つぞ!!!(←あいすほっけの話)


9月

ニューヨーク旅行記
どうにもこうにも、第一印象が悪すぎた。
ラガーディア空港の建物を一歩出た瞬間からジメジメジメっとした不快な湿気が体に纏わり付き
額をつつつーっっと汗が流れて、リュックを背負った背中はびっしょり。
話が違うじゃないですか。
『続・ひでおと素子の愛の交換日記』の「新井素子のニューヨーク案内」の回で
素子さんは「何かもう、無闇と空気がかわいてる」て言ってたんですよ。
いしかわじゅん(ゲストとして寄稿)の漫画にも「N・Yでは空気が乾燥してるので唇がひびわれる」とあって
だから2人とも現地でリップクリームを買ったということでした。
それを信じて覚悟を決めて行ったNYCだったのに、なのに実際はまるで日本の梅雨時のような蒸し蒸しさ。
なのにバスと地下鉄を乗り継いで辿り着いたホテルはシャワーだけで浴槽なし。
ばきやろお!風呂桶もない癖に入浴市なんて名乗るな!BUS要らねえからBATHよこせ!!!
以後はもう「坊主憎けりゃ」ニューヨークの全てが気に入らなくなってしまい

自由の女神は単に馬鹿でかいだけ、鎌倉の大仏様のような神々しさ(仏々しさ?)は一切感じられないし
ならばいっそ観光地らしく思い切り俗化してくれりゃ楽しいのに国立公園局管轄下にあるせいで妙に堅苦しい。
エンパイアステートビルやロックフェラーセンターの展望台からは海も山も地平線も見えないし。
必見と言われる自然史博の恐竜の骨は余りに立派過ぎるせいでプラスチックの作り物としか思えなかったし。
メトロポリタン美術館は常軌を逸して広くて疲れて足を痛めて最後は半べそで階段に座りこむ破目になったし
近代美術館(MoMA)は運悪くお目当てのキャンベルスープ缶(ウォーホル)が公開お休み中。
路上喫煙率はダラスときっと大差ないのだろうけど、歩道の人口密度が全く違うから煙の被害甚大で
何より楽しみだった日本食は、もう何と言ったら良いのやら。
カツブシの踊らない作り置きのたこ焼きとか、(店の前のベンチで食べること前提な風なのにゴミ箱設置なし)
(これは店の非ではなく単に相性の問題だけど)完璧に私の好みから外れた甘ったるい冷やし中華とか、
ホテルの部屋の電子レンジで温めても温めても温めてもご飯がぱさぱさのままの唐揚げ弁当とか、
ご飯と海苔を分離しているフィルムを引いたらご飯が真っ二つに割れてしまったおにぎりとか、
ロサンゼルス周辺(オレンジ郡〜トーランスあたり)の日本食レストランの質の高さを改めて思い知りました。
タイムズスクエア、NHLショップ、MUJI(無印良品)、FAOSchwarz、全て大した事ない、つまらない、
「期待外れ」という表現は余りに礼を失すると思いますがWTC跡地も何かこう…(自粛)

本当に、あの計算外の湿気さえなければ、街の感想は違っていたのだと思います。
「スープの味はイマイチだけど、麺の茹で加減は流石!ニッポンのラーメンそのものでした」
「腐っても鯛、冷めてもたこ焼き。本物のおたふくソースが食べられるなんてNY駐在員が羨ましいな」
「自然史博のマーズ・ローバーくん、かぁいかった(はあと)」「MoMAではダリの時計の絵を見ました」等々
ニューヨークは超楽しかった★★★★★!な思い出を作れてたかもしれないのに。
今回時間が無くて諦めたコニーアイランドのホットドッグと観覧車には多少の未練があるけれど
それでも今後、私ら夫婦が自費でNYCに行く事は決してないと断言できます。
夫の出張=夫の交通費と夫の食費、宿代を会社が出してくれる機会でもあれば
私も便乗して引っ付いて行く可能性ゼロとは言えませんけれど。

 

(左)まあ一応ニューヨーク来ました証拠写真ってことで。リバティ島行きの船の上から。
マンハッタンのビル群(写真右半分)で一番のっぽな建物はWTC跡に建設中の「1ワールドトレードセンター」です。
(右)成田美名子のCIPHER……じゃなくて「天の神話地の神話」だっけこのキューブが描かれたのは??
裏側の写真も撮りたかったのに、なんとキューブの下に段ボール敷いて御住まいになってる方がお1人。
撮って逃げても良かったけど。やっぱちょっとコワイ^^



…と、これだけじゃあニューヨーク報告、あんまりなので。
雨ニモマケズ、湿気ニモマケズ、NYで唯一私の心に染み入った展示物の話。
市立図書館の児童室に、6匹のぬいぐるみがいます。
A.A.ミルンの童話のモデルとなった、本物のプー。本物のコブタ。本物のトラー。本物のカンガ。本物のイーヨー。
そして(この子には私は興味なし)最近出版されたプーの「続編」に出てくるらしい新キャラのカワウソです。


私の家にもイーヨーとカンガがいます。
今はもう年を取りすぎ、くたびれて、普段はぼろ布のように眠り続けるだけの存在です。
私が声をかけなければ目を覚ます事はありません。ポーの一族の大老みたいなもんです。
(プーの一族…??確かにカンガもイーヨーもプーの仲間です^^)
その2匹を、無理矢理起こしてNYに連れて行きました。彼らが望んだわけでない、私の自己満足ですが。
2匹それぞれ「元祖」とご対面…

 

カンガは少し怯えています。
元祖カンガは首が破れて中綿がはみ出し、客観的にみたら化け物みたいな外見ですもん。
うちのカンガだって数日前まで手足ぶらぶら、目玉も取れかけ、かなりヤバイ状態だったんですけどね。
旅行先で手足紛失しては困るのでそこは出発直前に治療しましたけど
縫い目が不揃いでガタガタなのは治しようがない。(私の姉、当時小学4〜5年生の手縫いなので。)
糸と糸の隙間から綿が出かかってますよぉ。おまけに何故かお腹のポケットが無い!し
他所様から見たらうちのカンガの方がよほどブキミな容姿だろうと思います。
元祖イーヨーも物凄い継ぎ接ぎです。でもうちのイーヨーは結構平然。カンガとイーヨーの性格の違いですか。
元祖イーヨー、尻尾はちゃんと釘で打ち付けてありました。直径2〜3ミリの半球状の金属です。
実際にイーヨーの尻尾を踏んづけて破傷風になりかけた過去のある私としましては感無量でございました。

 

このぬいぐるみたちに会えたってだけでも、ニューヨークまで行った甲斐はあったかなと思います。
よし、次は田辺聖子文学館にスヌーに会いに行こう♪


歴史の生き証人
9月13日、華氏107度(≒41.7℃)。3桁の気温、今年通算70日目。
1980年に残されたダラスの3桁気温の年間最多日数記録69日を、遂に抜き去りました。
新記録達成です。
レイバーデイ(*)を過ぎての気温としては過去最高記録、というオマケも付きました。
 (*9月第1月曜の祝日、一般に「この日以降は秋」という感覚らしい)
厳しい夏が、とても長く、とても遅くまで続いたってことです。
その輝かしい記録を、私はこの身で確かに体験しました。
「あの2011年の夏は本当に暑かった」と、一生「年寄りの昔話」をし続ける権利を得たのです。
来年以降、新たにダラスに移り住んできた若い日本人が「暑いですねえ」とうっかり口にするたびに
「あぁらこんなの暑いうちに入らないわよ。2011年の夏はねえ(略)」と自慢を始めてウザがられるわけです。
楽しみで仕方がありません。
その自慢が成立するためには、来年・再来年は今年よりも涼しくなければなりません。
今年を越える、正気の沙汰と思えないようなとんでもない暑さが、どうかもう2度とダラスを襲いませんように^^

その後、とっくに彼岸も過ぎた9月29日に101度という数字が観測され、通算記録は71日まで伸びました。
ダラスには「Hundred Degree Hockey」という自慢なのか自虐なのかよくわからん言葉があるですが
まさかホントにやる破目になるとは思わなんだ100度でホッケー。(プレシーズン戦、対フロリダ)
まだ来るぞ、11月の感謝祭頃になってインディアンサマーで104度とか出るんだぞ。
夏服はまだまだ片付けられません。


Requiescat in Pace
あまりにも悲しい。
9月7日、Kontinental Hockey League=ロシアのアイスホッケーのトップリーグの、今期開幕のはずだった日。
試合のために敵地に向かう途中だった昨年の西地区優勝チームLokomotiv Yaroslavlが事故に遭いました。
詳しい事はよくわかりませんが、どうやら飛行機が離陸に失敗、墜落炎上したらしいです。
乗っていた選手、監督、コーチ陣、チームドクターたち、道具係、合わせて37人は全員亡くなりました。
体調不良でこの試合に同行していなかった選手1人だけを残し、チーム1つが一瞬で全滅してしまったです。
今期Lokomotivに加入したばかりの、この春まで2年間はダラス・スターズの一員だったKarlis Skrastinsも
新しいチームメイトたちと一緒に、二度と帰らぬ旅に出てしまいました。
突然すぎる別れに、言葉がありません。
Karlis Skrastins、ディフェンスマンとしてはNHL歴代1位の記録となる連続495試合出場を果たした鉄人でした。
故国ラトビア代表チームでは主将を務め、(毎度予選リーグ敗退だったけど)五輪にも3度出場しました。
奥さんは、Skrastinsの3人目の子供を妊娠中だったそうです。


去年の9月のサイン会で。つーしょっと写真もあるけど、それは私だけの宝物。
さようなら、Skrastins。2年間ありがとう。


8月

熱波

暑いなう。

華氏124度≒51.1℃。
我が家の愛車「すーぱー雪駄号」の運転席に表示された夕方5時40分過ぎの外気温です。
夫が会社の駐車場で撮影しました。
いや、いや、いや。気象庁的に言うところの「気温」とは別の数字です。
よその車の排熱浴びて、直射日光当たりまくり、アスファルトの照り返しがんがんの、
…気象庁発表の数字より、ある意味、実態に即した数字ですよね。
人間は、百葉箱の中で暮らしている訳では無〜〜い!!
8月1日、今日で100度(≒37.8℃)超え連続31日目。
日付に30を足すだけ=1の位の数字は同じなので、わかりやすくて良いです。

8月2日、109度(≒42.8℃)。ところにより110度(≒43.3℃)。
冷凍庫が物凄く苦しげな唸り声を上げています。
ダラスの電力消費量は今日、新記録を樹立したそうです。
テレビでは「2月の思い出」と称し、半年前にダラスを襲った「15年に1度の大寒波」の映像を流しています。
真っ黒な夜空に舞う白い雪。凍った道路をつるつると滑ってゆく車。
気分だけでも涼しく(寒く)なってくださいということでしょうか?
でも「2月2日 **度」の字幕と現実の気温との差を計算すると、余計にくらくら眩暈がします。
暑いです。

8月3日、今日も110度。
昨日つくったばかりの電力消費量記録が今日、あっさりと破られました。
明日もこの調子なら、輪番停電の可能性もあるようです。
生命に危険が及ばないよう短時間(10〜15分)で、そのかわり頻繁に、という計画のようですが
10分だろうが5分だろうが冷房切れたら即!超!!暑いです。
お願いです、テレビとパソコンは自粛しますから、冷凍庫と冷蔵庫と冷房に必要な電気は止めないで。
ここまで暑くなければ浴槽に水張ってパシャパシャしてれば凌げそうな気もしますが
今は水道の栓をひねっても出てくるのは完璧なお湯なんですもの。
てか、水不足も深刻だし…
本来なら毎日土砂降りの筈の5〜6月にお湿り程度の降水しかなく、
7月なんか雨が降ったのはたった1日、降水量わずか0.01インチ(≒0.25ミリ)。
州東部では、干上がった湖の底からスペースシャトル・コロンビア号の部品が出てきたそうです。
彼がテキサス上空で空中分解したのは2003年2月。
8年半も水没してたのが、今更。…そんだけ著しく水位が低下してるっつことです。
給水制限とかって事態になりませにんように。

8月4日。今日はちょっとだけ涼しくて108度(!)。
一般家庭の冷房は止まりませんでした。
工場など一部の大口使用者が生産ラインを止めるなどしてボランティア的に節電してくれたのだそうです。
ありがとう、ありがとう。

8月5日。
暑いうちに、やっておきたいことがあります。
虫眼鏡で光を集めて、文字を焼き焦がして、カマボコ板の表札を作るの。
別に、冬の弱い光でもちゃんとできる筈ですけどね。
でもどうせなら「これはテキサスの真夏の太陽が作った表札よ」って言う方が楽しいじゃないですか。
姓2文字を焦がし切る前に自分が焦げてしまってはヤバイので、作業は夫が家にいる週末にする予定です。
(家の中から窓越しに見張っていて貰えば万が一倒れても迅速な手当てが可能だしょ?)
でも、姓2文字を焦がし切る前に板が悲鳴を上げてぱきんと割れそうな気もします。
頑張れ私のカマボコ板。

8月6日。
気温と湿度から熱中症の危険度を数値化してくれるという表(日本語)を見つけました。
…ダラスの気温、表の範囲外でした。
「厳重警戒」や「運動は原則中止」を超え、もしかしたら「お前は既に死んでいる」なのかもしれません。
暑いです。

8月7日。
今日も暑いです。
暑いなう。
はずびーん暑い(暑いの継続)。

8月8日。
すちる暑い。
暑い、暑いやー(より暑い)、暑いえすと(一番暑い)。

8月9日。
夏ばてなう。

8月10日。
すちる夏ばて。

8月11日。
そしてそれは、突然に終わりました。
予報では今日も華氏103度≒39.4℃程度まで上がる予定だったのに、
(10日先までずっと100度超の見通しだったのに、)
昼過ぎにおかしな雲がダラスを覆い、ぽつりぽつりと雨が落ち、
結局、最高気温は華氏97度≒36.1℃。
3桁気温連続日数記録はダラス史上2位の40日で途切れてしまいました。
現在のダラス記録、1980年の連続42日に並び、そしてそれを越えるまで、あとほんの少しだったのに。
連続記録… ダラス新…か
記録がすべてとは言わないが、やっぱり欲しかった連続43日間
1年365日、終わってしまえばそれまでだが、…だが、記録は残る。
今年のわしらの辛抱を何かの記録でおきたかったよね。せめて記録とゆー形でさ。
………夕方、95度くらいまで下がった庭を歩いたら、とても涼しく感じられました。

8月12日、103度。
心機一転、臥薪嘗胆、また一から記録の作り直しです。
今日から連続42日てぇと……9月22日までか。
「暑さ寒さも彼岸まで」秋分までは暑いのが続くと解釈するなら、ぎりぎり不可能でない感じ?
例え連続記録更新はならくても、3桁日数の年間総計部門ではまだまだ十分に可能性があります。
最低気温の最高記録(明け方まで暑いままだった記録)は確か新記録が樹立できた筈だし
105度超え日数とか、連続105度超え日数とか、或いは110度のそれとか、狙える数字はいっぱいあります。
ダラスの寒暖計に幸あれ。


楽しい夏休み
この夏は3泊4日、ニューヨーク・シティに行く計画をたてました。
在米12年目にして、初NYCです。(ニューヨーク「州」なら、9年前にナイアガラに行ったけどね)
メトロポリタン美術館の予習として、E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』を読み直しました。
自然史博については、新井素子『続・ひでおと素子の愛の交換日記』で勉強しました。
図書館で映画『ナイト・ミュージアム』のDVDを借りたので、モアイ対策もバッチリです。
成田美名子『CIPHER』が手元に無いのは残念だけど、NYに関する主要な描写は頭に入ってるから大丈夫。
あとはインターネットで日本食レストランの情報収集、
「せたが屋」のラーメン&餃子セット、「Zaiya」の焼き蕎麦パンと苺ショートケーキを楽しみに
わくわくルンルン荷造りしていましたら

非常に強く巨大なハリケーン「アイリーン」が、米国本土の東海岸沿いを北上する恐れが出てきました。
ニューヨークが暴風雨域に入るのは、どんぴしゃりで私たちの滞在期間中のようです。
さあ困りました。
ロックフェラーセンター展望台のガラスは隙間だらけで、いつもビュービューと風が吹いているそうです。
平時でビュービューだったらハリケーンの日はどんなでしょう。
屋根がないので雨が降ったら傘をさします。強風の吹き荒れる高層ビルの屋上で。…相当な度胸が要りそうです。
てか、そんな日はもしかして、高い料金払って上まで行っても視界ゼロ?すいてるのだけが利点とか?
外れた看板や倒木が飛んできて、博物館から美術館までセントラルパークを横断するのも命懸けでしょうね。
何より私が一番楽しみにしてる蛸焼きとお好み焼きの店「おたふく」は基本的に持ち帰り専門のお店で
でもホテルまで持ち帰ったらせっかくの蛸焼きが冷めてしまうからお店の前の長椅子でぱくつく予定だったのに
930ミリバールの中で蛸焼きを食べるのは楽しいですか、美味しいですか。
100ノットの風に吹かれたらDancing bonito flake(花かつお)は飛んで行っちゃいますね。しくしく。
未曾有に悲しい旅行かも。とか思っていましたら

8月23日、旅行出発2日前。
米国東海岸を、この地域においては過去ほぼ最大級と言う地震が襲いました。
マグニチュード5.8、日本人にとっては屁でも無いような小さな地震ですが
耐震性なんてものを全く考慮していないアメリカの建築物には十分な打撃を与えうる揺れです。
例え建物の倒壊は免れても、地震があったら、たぶんエレベーターは止まります。
エンパイアステートビルの展望台は地上381メートルの高さにあります。
ちょうどそこにいるときに大揺れが来たら…歩いて下りるの、大変でしょうね。
てか、耐震も免震も考えられてない築80年のビルの381メートル展望台って、死の危険を感じます。
幸いに23日の地震では大きな被害は出なかったようですが
一部に妙に不気味な噂があり。
「これは本震ではないかもしれない、2〜3日後にもっと大きな揺れが来る可能性も」
…ぷつん。


ニューヨーク行きを決めたときから、アルカイダの残党が報復かけてきたらどーする?という話はしてました。
なので、キャンセルなんかへっちゃらです。
何年先になるかわからないけど、いつか、きっと行きますNYC。待っててね。ぐすん。


自由の女神とエンパイアステートビル………ラスベガスの。(2008年1月)


後日談
8月31日、ダラスの気温は華氏104度≒40.0℃。今年に入って通算65日目の3桁気温日になりました。
来月3日頃からしばらくは90度台(≒32.2℃〜)の過ごし易い日が続くようですが
ダラスの夏がこのまま終わってくれる訳がありません。
100度の太陽は必ずまた戻ってきます。
1980年に樹立した3桁気温日数の年間最多記録は69日間。
それに並ぶまで、明日(予報102度)明後日(同100度)を含めてあと僅か4日です。追い越すまでたったの5日です。
新記録達成はヨユーで間違いないでしょう。
晴れて記録更新の暁には、この夏を永遠に記念するため、玩具屋さんに三毛猫のぬいさんを探しに行くつもりです。
名前は「三桁の三毛太」です(笑)

東海岸の地震は、幸いにして、23日の1回きりで終わったようです。
余震があったという話も聞きません。良かったです。
でも、ハリケーン。
本来ならば旅行初日のはずだった8月25日午後、ニューヨーク州に非常事態宣言が出されました。
ニューヨーク市は水没の危険のある一部地域住民に避難命令を出しました。
私たちの予約していた宿や観光予定の美術館/博物館周辺は対象区域からは外れていましたし
この時点ではまだ雨は降りだしてない、風もほとんど無かったようなので
もしも旅行を強行していたら、1・2日目は結構普通に観光を楽しめたでしょう。
でも27日(本来なら旅の3日目)には博物館や自由の女神、摩天楼の展望台など主要施設は軒並み閉まり
午後からは市内のバスと地下鉄が全面運休、空港も封鎖されました。
外出は極力控えるようにと市長名のお達しも出て、事実上のホテル軟禁状態です。
停電で止まる恐れがあるからエレベーターには乗るなと言われちゃホテル内レストランにさえ行けず、
ガラスが割れると危ないからカーテン閉めて窓から離れろとの指示に従って折角の(?)台風見物もテレビ越し。
「もう嫌!なんで早めにキャンセルしなかったの!!」「だってアナタが行こうって言うから!!!」と、
下手すりゃ客室内部でも備え付けラジオや電話機が飛び交う大嵐が発生したかもしれません。
そして28日午前、熱帯暴風雨となったアイリーンはニューヨーク市を通過してゆきました。
結果的にはマンハッタン島内の被害は心配されたほどには大きくならず済んだようです。
とは言え、嵐が去った後も交通網は全く復活せず、私たちの乗るはずだった帰りの飛行機ももちろん欠航。
もう雨は上がってるのに、時間もあるのに、バスは動かないし美術館は開かないし、
ラーメン屋も閉まったままだし、延泊した分費用はかさむし、下着の替えももう無いし、もーサイアク。
…胸まで濁流に浸かって軍に救出されたりとかの深刻に悲惨な体験をしたわけでないので
きっと5年も経てば笑い話にできるでしょう。でも、その5年が長いんだ。
行けば、行けたかもしれない。でも、行かなくて良かった。
そういうことにしておこう。


後日談の後日談
え???なんと。
私たちが持っていたのは安売り航空券なので日程変更は不可の筈ですが
今回のハリケーンに対する特別措置として、期間限定で旅程の延期が認められることになったそうです。
…が、とき既に遅し、私たちは予約をキャンセルしちゃったよ、これじゃ救済対象外。
でも、言ってみるだけならタダだもんね。
在米12年、妙なところで妙な逞しさを身に付けてくれた夫が、航空会社に無理矢理な交渉をふっかけて

………へへ♪ 来月早々、ニューヨークに行き直して参りまぁす♪ ……たぶん。
地震・ハリケーンに続き、隕石墜落とか宇宙人襲来とかキングコングの暴動とかが起きたら再キャンセルです^^


7月

100度x30日
暑いです。
3桁の気温(華氏100度≒37.8℃、またはそれ以上)が今日でもう30日間も続いています。
ダラスの観測史上2位の3桁気温連続記録だそうです。(最長記録は1980年の連続42日間)
週間予報を見るとこの先7日間まだまだ毎日3桁みたいです。週半ばには108度≒42.2℃まで行くとか言ってます。
もう笑うっきゃない状態です。
私は冷房効いた屋内で冷凍スイカを齧ってるだけなので100度でも110度でも命にゃ別状ないですが
外で仕事をしなきゃならない方々は本当に大変です。(上原浩治くん、ようこそテキサス・レンジャーズへ)
お外に住んでる動植物たちはもっと気の毒です。
庭の芝生と雑草が全部枯れてしまい芝刈り・草むしりが必要なくなったのは嬉しいですが、
暑さで死滅したか、蚊と蟻が全く出ないのも(人間にとっては)有難いですが、
おかげでうちのツバメは次々に3羽も死んでしまいました。
もう成鳥に近い体まで育ち、巣立ちも間近だったはずの子ツバメたちです。
飛行訓練中の墜落死とかじゃないんです。蛇や猫が来た形跡もありません。
きっと暑さを原因とする餌不足による餓死、あるいはもっと直接に暑さによる衰弱死です。
どちらにしたってこんなことは初めてで、とても辛いです。
とか言って、庭の木の根元に埋めたあと、手を合わせて目を閉じて
「美味しいピカンになってください」と祈るくらいにはヨユーありましたけど。(桃の木が無くてとても残念)
とにかく暑いです。
せめて残ったツバメたちに僅かでも涼を提供してやれたらと思い
使ってない植木鉢の受け皿に水を張って水浴び場を作ってやりました。
でも、活用してくれてる様子が全く見られず少々がっかり。
仕方ないっすけど。日影に置いてやっても、水盤の中身はすぐにお湯になってしまう。
温泉猿じゃないんだから、あの中に肩まで浸かって「ちょいなちょいな」を歌いやしないでしょう。
(てか、あとで調べたら、そもそもツバメはこういう形での水浴はしないみたいですね)
水浴びして貰えないならボウフラがわく前に片付けちゃわなきゃいけないな、と思いつつ
あんまり暑くて外に出るのがイヤで一晩放置。
翌朝早くに(まだ暑い・もう暑いけど、仕方なく)始末しに出たら、水盤はもうすっかり乾いてしまっていましたとさ。
暑すぎダラス。
来月31日に「連続61日3桁、そしてまだ継続中」と書かずに済むよう願っています。


温度計をちょっち日向に出してやったらたちまち針が振り切れた


車で4時間
遂に1度も見物に行けないまま、スペースシャトルの全ミッションが終了してしまいました。
日本に住んでいたなら諦めもつくでしょう、てか、そもそもフロリダまで行こうなんて考えもしなかったでしょう、
でも、ここはアメリカ。ウチからケープ・カナベラルまで、1600kmしか離れていないんです。
行きたかったです。空高く飛び上がっていくシャトルをこの目でナマで見たかったです。
フロリダに行くこと自体は別に無理な話じゃありませんでした。
でも、発射当日、朝早くから場所取りして、炎天下(或いは寒風吹きすさぶ中)何時間も待って待って待って、
その挙句に「今日はちょっと雲が出てきちゃったから、また明日ね」とか言われちゃあ堪ったもんじゃありません。
せめて朝のうちに中止発表してくれればディズニーワールドにでも逃避できるのに。
翌日もまた待って待って待って待った末に「今日も止め。次の打ち上げ可能日は半月後」って
いったいどーすりゃいいんですか。
半月間も現地で待ってたら滞在費がかさみます。留守宅も気になります。そもそも夫の有給が足りません。
シャトル計画があと10年続いてくれたら、悠々自適の老後生活、フロリダに1ヶ月逗留することもできたのにな。
留守宅は誰かに管理を頼んで。お金も今から貯めて。
あああ、行きたかったよお。

「宇宙なんてあんがい近いもんさ 直線400キロ 車で4時間」
2008年、星出彰彦さんの飛行(STS-124)の際に元同級生たちが贈った応援歌の一部です。
初めてこの歌を聴いたとき、「シャトルで丸2日かかるのに、車で4時間な訳ないだろーっ」と爆笑したですが
いや、ISSの軌道を確認したら本当に地表から「たった」400kmのところを飛んでいたので、びっくらしました。
フロリダから見たら、ダラスはISSの4倍も遠くなんですね。
これは遠すぎるくらいに遠すぎたんだと。
そう自分を慰めています。


牛丼一筋80年
カリフォルニア発のバーガー屋(5月参照)なんか、もうどうでもいい。
ここダラスに、ついに、牛丼のYOSHINOYAが出来ましたっ!!!!!
私の愛する豚キムチは無いですけど。
チキンカツ丼みたいな物、焼蕎麦みたいな物、餃子にクラムチャウダーにデザートはチーズケーキまであって、
飲み物はペプシやレモネードや100%オレンジジュースだったりしますけど。
97年に旅行したカリフォルニアで空港と街を結ぶ無料バスを利用したら、運転手さんが流暢な日本語を話す人で、
(日本人の妻がいてもうすぐ第一子が生まれるんだ、なんてことまで一方的に喋ってくれて、)
車窓に見えた(西海岸には当時既に上陸してた)橙色の看板指差して言うことにゃ
「ヨシノヤ、アメリカのは美味しくないです、日本のと肉が違う、味が違う、食べてがっかり、絶対入っちゃ駄目です」と
そんなわけで一切期待しちゃいけないことは重々承知いたしておりますが、
でも、吉野家です。
行きました。
思ったよりはるかに本物に近い吉野家でした。
丼が発泡スチロールだったのは納得いかないけど、味はちゃんと牛丼でした。日本と殆ど違いません(たぶん)。
(日本の牛丼を最後に食べたのは02年2月、以降は豚キムチ一辺倒だったので実はあまりよく覚えていません。)
取り放題の紅生姜もありました。唐辛子フレークもありました。
お箸が無くて使い捨てフォークだったけど、くれと言えばお箸も貰えたのかしら?これは不明。
でもとにかく、日本人的に、十分に納得の行く吉野家でした。
西海岸とそれ以外で味が違うのか、15年間で吉野家USAが進化したのか、私たちの味覚が退化したのか。
んなこたぁもうどうでもいい。きっとまた行きます。
サンホセのバスの運ちゃん、言いつけを破ってごめんね。


まるで吉野家に見えませんがこれも吉野家。
夫婦2人とも牛丼じゃ面白くないなと私が取った「バーベキュー・スタイル ビーフ&チキン・プレート」です。
パンダ・エクスプレスより美味しい。


6月

「所有者を示す焼き印のない放牧牛(mavericks)」
私、NBA(北米プロバスケ)が嫌いです。
NBA所属チームの中でも特に、我が地元に本拠を置くダラス・マーベリックス(Mavs)、大っ嫌いです。
もともと学校体育の時代から、3歩だ3秒だ30秒だってせせこましいルールが性にあわなくて
バスケという競技には(観ることまでも含め)どうにも馴染めなかった。
NBAは人間離れした巨体がただドタドタ走り回ってるだけでより一層つまらないし
そしてダラスに移住後、アイスホッケー観戦にはまったことで、バスケ嫌いが大爆発します。
てめーらの試合の後は、氷の状態が悪くなるんだよっ!
(私らの大事な氷の上に断熱材敷いて床板並べてバスケやってますあいつら)
パックがあらぬ方向に飛んでいってパスが全然つながらないし、選手はやたらころころ転ぶし、
こっちゃ高いカネ払ってプロのホッケーを観戦に行ってるんだ。マイト・ホッケー(幼児部)を観たい訳じゃない!!!
てわけで、私に限らず、Mavsを嫌っているスターズのファンは非常に多いです。
スターズ戦にテキサス・レンジャーズ(野球)やダラス・カウボーイズ(アメフト)のTシャツ着てくる人はいるけれど
Mavsの服を着て・Mavsの帽子をかぶってくる馬鹿はまず居ません。
スターズの試合の休憩時間中、Mavsの敵地での連勝が報じられたら会場内大ブーイングってこともありました。
去年、レンジャーズの快進撃が伝えらたときは、割れんばかりの大拍手だったのに。
そしてめでたくア・リーグ優勝を決めた翌日、控え投手がパックドロップ(≒始球式)に来てくれたときは
場内総立ち大歓声で迎えたのに。
ひどい待遇の違いです。そのくらい、スターズ・ファンはMavsを嫌っています。
あちらさんたちも何故かは知らないけど私たちを好いていないようです。
「あいつらが俺たちのコートの下に氷なんか作りやがるから腰が冷えるんだよ!」とか
まあ彼らには彼らなりの主張があるのでしょう。
あ、もしかして、ウチがアリーナの天井に沢山の優勝旗を並べて飾ってるのが気に入らないのかな??
地区優勝旗の枚数、ウチはやつらの5倍もあるし。全米優勝の旗も持ってるし。
あっちは優勝経験1度も無いもんなー。妬いてるんだきっと。ぷっ(噴)

とかって嘲笑っていたら。
優勝しちまいやがりました、あいつら。
おめでとう。……まあ、おめでとう。
心底腹立たしいので、パレードになんか行きませんでした。
記念Tシャツや記念帽子、記念誌の類も一切買いませんでした。
祝勝特番のビデオ録画なんて絶対にしませんでした。(まして新品テープを標準速でなんか!)
主将ノビツキーが祝勝会場で歌った『We Are the Champions』(と思しき歌)にはちょびっと感動しましたけど。
敵地で優勝決めてダラスに戻る専用機の中でiPod聴きながら歌の練習してる姿がニュース番組で紹介されて
でもどうやら天性の音痴らしく、まるでお経のような『We Are〜』で、本番でも全く上達してなくて、
それが却って万感胸に迫るって感じで良かったのだ^^ノビ、図体のでかさに似合わず、中身は案外カワイイかも。
だけどやっぱり私はMavsが嫌いです。
見てろ、来季こそはわしらが優勝しちゃる。


「ユーラシアン・ブラウン・ベア(bruins)」
アイスホッケーの決勝は、ボストン対バンクーバーでした。
ボストンのチーム名「Bruins」は(茶色の)クマという意味だそうで
我が家のクマたち約9匹は、黒クマも白クマも青クマもみな大興奮でボストンに声援を送っていました。
ボストンのゴーリーが、また実に愛らしい「ぬいぐるみのクマちゃん」的な外見で
それもクマ一同の心をつかんだ要因らしいです。
で、3勝3敗で迎えた第7戦。チーム設立40年、悲願の初優勝を狙うバンクーバーを4対0で打ち破り
見事、ボストンが6度目の優勝を果たしました。クマたち大喜び。おめでとう。
と、ここまでは良かったのですが

バンクーバーが前回(17年前)プレイオフ決勝で敗れたとき、街では大規模な暴動が起きたそうです。
今回も、もしも負けたら絶対にただでは済まないと誰もが予想していた、その「期待」を裏切ることなく
やっぱり、やってくれましたバンクーバー。
競技場外に溢れた大観衆のために設置された屋外テレビに誰かが物を投げて大画面を破壊したのに始まり
以後、車への放火、商店からの略奪、それを止めようとした一般市民への集団暴行、警官隊との衝突、
とても悲しい光景ですが、所詮はよその国のことと思えば非日常のお祭りのようで何か楽しそうでもあり、
不謹慎ではありますが、インターネットの暴動中継を私は実は喜んで見ていました。
高校時代の友人がバンクーバーに住んでいるので彼女が巻き込まれて怪我などしないことを祈りつつ、
(まさかとは思うけど祭りに参加して逮捕されて移民権剥奪・国外追放なんか喰らわないよう願いつつ、)
でも彼女さえ無事ならあとは派手に燃え、派手に煙が上がり、派手に爆発した方が面白いよなと笑っていました。
残念ながら(!)暴動はたった3時間で鎮圧されてしまい(ちなみに17年前は6時間以上も続いたらしい)
ですがお蔭様で、幸いにして彼女は大丈夫だったようです。
でもそのかわり。私、見てしまいました。
1匹のクマぬいさんが、棒に吊るされて、火をつけられていました。
たぶん燃やすことを目的に新しく用意されたのでしょう、愛された形跡の全くない、綺麗なぬいさんでした。
それが救いだったといえば救いで。それが一層悲しいといえば悲しかったです。
てばちゃん、ふりゃふりゃ、でび、右だっけ、そしてクマさんたち、
もしも来年スターズがきみたちのチームに負けても、私は君たちを燃やさないから安心してね。
蹴飛ばすくらいはするだろうけど。


数年前からダラスでも本物のヤクルト売ってます(swallows)
居間から裏庭に通じる出入り口の外から、チチチチチという微かな音が聞こえています。
扉の外の巣の中でじっと動かずにいた親ツバメが4日ほど前から急に忙しく飛び回り始め、
どうやら無事に孵ったらしい、餌集めで大変なんだろうな、と思って眺めていたのですが
小さすぎる雛は家の中からでは姿が見えず、声も聞こえずで、孵化の事実は未確認でした。
今日、初めて鳴き声が聞こえ、まずは一安心。
もう一週間もしたらぐんぐん育って巣の外にはみ出してきた子ツバメと対面できるでしょう。
かわいい黄色い口に会えるのが楽しみです。
さらに4〜5日たつと、てめぇら朝っぱらから五月蝿えんだよと怒鳴りたくなるくらい賑やかになるですが。
あまりのやかましさに、ホッケースティックで巣を叩き落してやりたい衝動に駆られるですが。
それでも巣がなんとか無事でいるのは、この季節のダラスが既に「一歩たりとも外に出たくない」ほど暑いから。
巣を落とすためには、外に出なきゃならない。暑いのとうるさいのなら、うるさい方がまだ我慢できますって。
もしも奇跡的に涼しい日が来たら、ツバメさん、ご用心。


5月

(わかる人にしかわからない固有名詞でごめんね)
ダラスで、あの「ニコリ」の創始者、社長、鍜治真起さんのサイン会がありました。
正確には講演会があって、その前後の空き時間に希望者はサインを貰えた。ですけど。
私にとってはサイン会の方が主体。わっほう。
自宅本棚に並んだ解き古しの(あるいは買い置き未着手の)ニコリを1週間かけて吟味して
結局、20世紀最後の秋に出版された特別号「20世紀クロスワード」(勿体無くて書き込みできず中は真っ白け)と
昨春の帰国時に買った、その時点でのニコリ最新号(全頁書き込みまくり・消しゴムかけまくりのぼろぼろ)と
2冊にサインをいただきました。
他の人は会場の隅の販売ブースで買ったばかりの新品の本を差し出していて
うーん、社長さんとしては、自社の本をここで新たに買ってもらったほうが嬉しかったかしら?
でも、もしも私が料理本の著者で、サイン会を開いたなら、
しっかり使い込んで醤油がはねて油が染みた本を「愛用してます!」って持ってきてくれた方が絶対に嬉しい。
鍜治真起さんも私の古ニコリの書き込み済み頁を見て喜んでくださったのではないか。そう思おう。

講演自体は、もうかれこれ20年以上もニコリと付き合ってきた私にとっては「何を今更」な話が多く
超マニアックな裏話とかは全く聞けなかったので、予想通りに少々期待外れでした。
ここ数年のブームで初めて数独を知った新規ファンな人たちの方が楽しめただろうな。
しかも講演、英語だし^^
ダラス日本人会のサイトには「講演は英語で行われます」なんて一言も書いてなかったぞ、ぶうううう。
予め用意した原稿を離れての即興の話(質疑応答とか)では鍛治さんときどき英語に詰まって日本語で話し始め、
主催者(ダラス日米協会の人)が日本語→英語の通訳をつとめたりする場面もあったのだけど
英語→日本語の通訳をしてくれる人は全くおらず。
非常にわかりやすい構文と簡単な単語がほとんどなお話で、9割5分くらいは理解できたような気がしますが
もしも理解し損ねた残り5分のあたりで興味深い内容が語られていたらと思うと非常に悔しい。
この悔しさをばねに英語の勉強を(以下自粛)

それにしても。
大学の「全く興味ないけど進級/卒業のために義務で取ってる」一般教養の大教室講義じゃあるまいに
自由参加の、しかも有料の講演会で、なぜ私語する。
講演の内容に関連した内容を小声でささやく程度なら状況次第で「アリ」かとも思いますが
まーったく無関係な昨日のできごとをべちゃくちゃと
あれは日米協会の関係とかで動員されてきて仕方なく座ってた人なのかしらね?
私語が日本語だから私の頭にすんなり入ってきちゃって、いちいち全部理解できちゃって、
案の定、飽和状態の脳みそが悲鳴をあげて夜中に頭痛に苦しみました。
日ごろ、スーパーのレジ待ちとかホッケー競技場とかで聞こえる周囲の人のお喋り(ほぼ英語)は
私にとって自動車の走行音や小鳥のさえずりと同じ雑音でしかなく、右耳から左の鼻穴に抜けてゆきます。
何を聞いても全部すっぽ抜けるので、英語の力がつきません。
英語力がないので右から左に抜けちゃいます。
イクラが先かサーモンが先か、ああどこかでこの循環を断ち切りたい。


(数ヵ月後には加州本拠の有名スーパーも来るらしい、待望)
カリフォルニアに本拠を置くハンバーガー・チェーンの有名店が、ダラスに進出してきました。
私はまだ食べたことがありません。サンフランシスコに旅行したときに店の前は通ったけど、入らなかったです。
他に食べたい物がいっぱいあって、そっちを優先しちゃったです。
でも、それは非常に勿体無いことだったらしい。噂によれば物凄く美味しい店なのだそうです。
ファストフードの常識を覆す味なんだとかかんだとか
ほんじゃ次に西海岸まで日本食買出しの旅に行ったらそのときこそは食べてやるべえと思っていたら
それより早く、お店のほうから私たちの近くに来てくれました。やっほう!
それでは早速とうきうきわくわく開店半月後の土曜のお昼に行ってみましたら
お店の数百メートル手前から道路に交通整理用の赤い標識が並べられていて
ドライブ・スルーに入りたい車と駐車場に入りたい車とがそれぞれ長蛇の列になっていて
車を無事に停めてもその次、店に入りきれずに溢れた人間がうねうねと並んで店を囲んでいて
…たぶんきっと1時間待ち。もしかしたら2時間待ち。
なんでたかがハンバーガーに、そこまでしなきゃいけないの。
2時間あったら自分でタマネギ刻んで合挽こねて上等の和風おろしハンバーグが作れるわ。
あほらしくなったのでお昼は数年前からダラスにある「そこそこ美味しい」バーガー屋で食べました。
あの評判のお店は、ほとぼり冷めるまで待ちましょう。
1ヶ月先か2ヶ月先か、下手すりゃわしらの西海岸行きの方が早いかも。嗚呼…

日本人が新宿のクリスピー・クリームに嬉々として並んでいる様を見て在米の人間はせせら笑っていわけですが
アメリカ人だって大差ないですねえ…


庭に来てる状況証拠は山ほどあるけど実際に姿を見たことはまだない
ある朝、日課の草むしりのために裏庭に出ましたら。
庭に、ぽこんと小さな丸い穴があいていました。
その脇には去年のピカンの実が1つ。
ためしに穴にピカンをいれてみたらぴたりと嵌まり

リスが、埋めてたな。そんで、掘ったな。

だけどリスさん、骨折り損のくたびれ儲け。
掘り出したピカンを嬉々として齧ってみたら、発育不全で中身からっぽ。
食える状態の実ではなかったようです。
(だからこそピカンは樹の根元に捨てられていて、リスが入手できたわけで。
ちゃんと美味しいピカンだったら私の胃袋に収まってますって)
で、齧りかけた実をその場に投げ捨て、次の埋蔵食糧を掘りに行き
だけどそいつも中身スカスカで(或いは妙に水っぽい腐ったような実で)
更に掘り返した3つ目4つ目5つ目も食べられない実ばっかりで

結局、リスさん泣きながら放置していった空っぽのピカンが7つ。
それが埋まっていたらしい窪みも7つ。
たぶん、リスさん、空腹なまま。
ちょっち気の毒な気もするけど…

でも、空っぽのピカンって、手に取ると明らかに軽いよ。
割ってみなくてもスカスカなのはすぐにわかるよ?
リスさん、何故に、埋める前に気づかない。

リスってばかだ。


4月

地震があって判ったこと
我らがダラス・スターズで大活躍(予定)の日系カナダ人サワダくん。
てっきり3世とか4世とか「遠い祖先は日本人だった(らしい)」程度の人だと思い込んでいたのだけど
なんとまあ。2世ですって。
日本生まれの純日本人が父親で、京都に今も親戚がいるですって。
チーム公式サイトの「日本への募金に協力ありがとう(引き続きよろしくね)」の記事に書いてありました。
はああ。だったら、日本語、話せて欲しかったなあ……
まあ、カナダだから、まず英語があって、フランス語もできた方が有利(orできなきゃ不利)、
日本語=父の国の言葉を学ぶなら母の国の言葉=イタリア語もやらなきゃ夫婦不公平だし、
いくらなんでも4ヶ国語はきつすぎるもん。日本語がコンニチハとアリガトウだけだったとしても仕方ないけど。
でも、サイン会で「応援してます♪頑張ってください(はあと)」て日本語で伝えられたら幸せだったのにな。
片言英語で「アナタはニホンゴを勉強するべきである」て言ってやろうか。
日本語の長い長いファンレターに「パパに読んで貰ってね」と英語で書き添えるか。
ただいま一人作戦会議中。
ところで京都でサワダ姓って、まさかジュリーの親戚???


そして、その、スターズ。
わがスターズは、西地区9位という成績でレギュラーシーズン最終日を迎えました。
プレイオフに進出できるのは東西各地区の上位8チームずつ。
順位をひっくり返し8位に滑り込むためには、最終戦に65分以内で勝たねばなりません。
なおかつ、8位のシカゴが60分で負けてくれることも絶対必要条件です。
でも幸運なことにシカゴは順当に行ったら勝てるわけのないデトロイトとの対戦で
一方ダラスは余程のヘマをしなけりゃ勝てるはずのミネソタが相手で
望みはある、かなりある、きっと行ける、絶対に逆転出場できる。そう信じて臨んだ4月10日最終戦。
シカゴは負けました。
でもダラスも負けた。
だからダラスはダラスなんだ。ああ………………

2軍、テキサス・スターズはプレイオフ1回戦で敗退しちゃいました。
でも(数字で見る限り)サワダ君がかなり伸びてきているようで、嬉しかったです。
来年はぜひ1軍定着して欲しい。がんばれ「日系2世」サワダ!!

3軍、アレン・アメリカンズはまだ頑張っています。
でもこのアメリカンズってチーム、スターズとはオーナーが違うし、(だからチーム名も違うし、)
選手登用の仕組み上もウチとの繋がりは非常に希薄です。
傘下とは言え、(そしてウチから車で15分足らずの超ご近所チームとは言え、)
あまり真剣に応援する気にはなりません。
まあ、勝ってくれるにこしたことはないですが。
でもやっぱりどーでもいいなあ……

しゃーない、世界選手権でも見るか。頑張れスウェーデン。頑張れEriksson & Grossman。


日本では「ありがとウサギ」なる生き物が流行っているときいて

Arigato Alligator

どうでしょう?


3月



宮城で、岩手で、福島で、
恐怖と戦っている小さなこどもの傍で、一生懸命がんばってるくまさん、ぶたさん、らいおんさん。
ありがとう。


大事なうさぎさんと離れ離れになってしまって泣いている子どもや
自分を愛してくれた小さな手を見失って途方にくれているぞうさんや
(書いててつらい、できるなら書きたい文章でない)
瓦礫の中で今もしっかり抱き合ったまま眠っている子どもとパンダさんや
自分を愛してくれる人に巡りあえないまま、「新品」のままで生涯を終えたゴリラさんや

どうか、みんなが救われますように。
祈っています。
無宗教だけど。基本的には無神論だけど。




2月

踏まれたり蹴られたり、思わず泣いたら蜂に刺されたり
昨年は「30年に一度の大雪」に見舞われたダラスでしたが、今年は「15年に一度の大寒波」に襲われました。
1月30日までは暖かかったです。暑かったです。実にダラスらしい冬。
ところが31日の午後から気温がぐんぐん落ち始め、2月1日はうっすらと積もる程度に雪。そして。
2月2日。昼間の最高気温が華氏20度≒−6.7℃って、何これ。2010年の年間最低気温より低いぞ。
予想最低気温は華氏7度≒−13.9℃。ここは旭川か?エドモントン(NHLの本拠地の中で最も寒い町)か???
テレビの臨時交通情報によれば、道路が凍って町中いたるところで事故発生中な様子です。
夫は安全第一で出社を見合わせ。インタネットにさえ接続できれば自宅にいてもできる仕事なのが有難い。
…と思ってたら、ありゃ、停電だ。
ノートPC自体は電池が空になるまでは使えますが、ネット接続には交流電源が必要です。
10分足らずで復旧したので安心してたら、1時間ほどしてまた停電。これじゃ仕事になりません。
さらに悪いことに、この家の暖房の熱源はガスですが、温まった風を家中に送るのには電力を使っています。
電気が止まるとやがて室内はじわじわと寒くなってきます。
毛布に包まって暖をとりつつ、薄暗い部屋で、乾電池のラジオで夫が聞いたニュースによると
どうやら寒さの余りテキサス州内全域で暖房装置がフル稼働、
電力供給が追いつかなくなって各地で断続的に停電しているらしいです。
せめて内から体を温めよう、熱いココアでも作ろうとヤカンをガス台に乗せたら、あ、火がつかない。
この家のガス台は交流電源で火花を散らして着火させる仕組みなので、停電中は使用不能に陥るのでした。
ガス自体は流れているから、マッチで最初の点火をしてやれば後は普通に使えるんですけどね。
夕飯の支度のためならともかく、たかがココアにそこまでする気力もなく
でも寒いよ、ココアが駄目ならインスタントコーヒーでも飲みたいなとマグカップを電子レンジに入れて
…動くわけがありませんってば。あたしゃアホだ。

雪の重みで送電線が切れたとかの事故ではないので、電気の復旧は割と早いです。
今度は15分ほどで部屋の明かりがつきました。
でも電気が足りていないのだからいつまた停電するかわからない。
電気が通ってるうちに電気が必要な仕事を片付けちゃいましょうと洗濯機を回しだしたら
最初の排水が始まって数秒後、パシャーッという異音が聞こえてきて
慌てて飛んで行ったら洗濯室の床一面が泡だらけの水浸しになっていました。
どうも洗濯機から繋がった排水管の屋外部分が凍って詰まり、行き場を失った排水が溢れ出たようです。
ぬるま湯だった排水は冷え切ったタイルの床に熱を奪われてあっという間に冷水に変わり
一面の水を雑巾で吸ってはバケツに絞る、その指先が凍って痛いです。
バケツの水は(遠くの浴室まで捨てに行くには重過ぎるので)洗濯室の隣の車庫にぶちまけます。
車庫には暖房は入れておらず、金属シャッター1枚向こうは本物の「外」です。なので車庫はとても寒いです。
作業効率上、車庫に通じる扉は開けっ放しにせざるを得ず、よって洗濯室も瞬く間に室外並みの気温になり
あああ、もうイヤ。
氷点下の日には洗濯機を回しちゃいけないなんて、学校では教わらなかったわ。ぐすん。
そして床掃除に追われている間、私は台所でゆるやかに加熱していた風呂吹き大根の存在を完全に忘れていて。
火事にならなくて良かったです。私は幸せです。

そして2月3日、朝。1ヶ月前に修理して貰ったばかりの暖房が、再び壊れました(大爆笑)。
夫が慌てて業者に電話すると、今日は依頼が山と入っていてとても無理、明日の午前中に行くよと暢気な返事。
どーするよ、おい。今日も外は1日中氷点下なのに!!!!!
日本の一般家庭なら6畳用のエアコンがあり、こたつがあり、電気絨毯があり、
仮に停電になっても石油ストーブがあり、おばあちゃんの部屋に火鉢があり、
それら全てが同時に故障する可能性などゼロに近いでしょうけれど
この家じゃ暖房装置の接続が1つ外れたら家中が冷蔵庫(夏ならば天火)です。
せんとらるひーちんぐなんか大っ嫌いだ。ぶつぶつ。
と文句言ってる暇があったら早めに近所のホテルを取って避難したほうがいいかしら。
でも(嗚呼)よりによって、この週末(6日)はダラス近郊の町でスーパーボウル*が開催されるので
(*アメリカンフットボールの全米優勝決定戦)
全米から訪れる関係者と観客でダラス近辺の主要な宿は既にほぼ満室。
残った僅かな部屋は、私らビンボー人には手が届かないところまで料金が高騰してしまっているようです。
夫の同僚たちの「ウチに泊まりにおいで」との言葉が泣きたくなるくらい嬉しい。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。でも、頑張れるところまでは自力で頑張ってみます。
まだ1度も使う機会を作れずにいた夏のキャンプ用寝袋を持ち出してきて、みのむしみのむし。
こんなことなら、冬山用の華氏マイナス40度(≒−40℃)対応の本格的な寝袋を買ときゃ良かった。

夫の寝床は私の物より上質です。バネの具合が心地よいのに加え、通気性が大変に宜しい。
ダラスの暑い長い夏の間は体熱がこもらず非常に快適なのですが
暖房を失った氷点下の晩にはあまりふさわしくない寝具だったようです。
無駄に広い寝室に大きな窓がついてることも災いし、夫は寒くて寒くてほとんど眠れなかった模様。
「寝たら死ぬ」状態でなかっただけマシですが。気の毒なことでした。
その点、私の安物の寝床は潜り込んで10分もすれば普段通りのぬくぬく状態です。30分もすれば暑くなります。
いつもと同じに半分寝ぼけて布団を蹴飛ばし、いつもと違う寒に目を覚ます、を一晩中繰り返して私も睡眠不足。
そんな夜が明けて2月4日。夫が早朝から暖炉に火を入れてくれていて、それでも居間は華氏49度(≒9.4℃)。
窓の外は真っ白、夜中にまた雪が降ったようです。今日はもう立春なのに!
(ああ、てことは昨日は節分でしたか。太巻きの材料は揃えてあったけど、それどこじゃなくて忘れてたわ…)
試しに積もった雪に物差しを突き刺してみたら、深さ13.5cmありました。
庭がとてもでこぼこしているので、本当は場所を変え数箇所〜数十箇所測って平均値を出すべきでしょうけど。
そんなことしてたら体が冷えます。冷えた体で部屋に戻ってその部屋が屋外並みに寒いのは超・哀しいです。
下手すりゃ洗面所のお湯だって出ないかもしれません。いえ、幸いに「今は」「まだ」出てますけど。
寒い寒い車庫に設置されている(!)湯沸し器の配管が凍って破裂くらいの事故は
ここ2〜3日の喜劇的状況を思えばヨユーで起きそうです。
冷え切った指を温めるお湯が無いのは地獄です。なので積雪量の正しい観測は諦めます。雪合戦も自粛です。
小さな暖炉の前で夫と2人縄張り争いの衝突を繰り返し肩寄せ合って、業者さんの到着を待ちわびます。
…でも、ちゃんと来てくれるのかな。不安無限大。
「道が凍って危険すぎるので出張修理は行けません」とか言われてしまう恐れあり。
老人や病人のいる家から救援要請があればそちらを優先せざるを得ないだろうし。
こんな日だからこそ早く来て欲しいのに、こんな日だから来て貰えないかもって、ああ、納得したくない。
納得できなくても、覚悟は決めておいた方がよさそうです。
今晩も冷蔵庫。頑張れ私。

だけど業者さんは、思ったより早く午後1時に来てくれました。
約束は「10時から12時」だった筈ですが、細かいことは今日は不問。
てか、道路事情を口実に今週ずっと在宅勤務している夫(とその妻)には、何も言う資格ないでしょう。
来てくれて、ありがとう。

さて、屋根裏に上った業者さんが暖房装置を素早く点検、
「部品交換が必要だけど、特殊な型だから取り寄せになるね。1週間くらいかかるよ」
とか言い放ってくれたらサイコーにどらまちっくなのですが
幸いにして本日の修理はよくある故障の典型例らしく、必要部品は業者さんの道具箱に入ってました。
ちょちょいのちょいで、綺麗に直って、300ドル(部品代、技術料、出張料金、ほか合計)。
部屋が暖かくなって嬉しいです。
洗い始める前に高温のお湯をしばらく流して氷を融かせば洗濯機も普通に使えて嬉しいです。
夫は家にいて、交通事故になんか巻き込まれていないし。台所では熱いスープがぐらぐらと煮え立っているし。
終わりよければ全て良し、と考えておきましょう。
(でも路面が融けて安全な移動が可能になったら直ちに小型の電気ストーブ買いに行くぞ)
(「15年に1度」のこんな寒さが私たちの身に再び降りかかる可能性は低いのだけどね、有難いことに)


そして
5日6日は比較的マシな気温でした。でも7日から再び寒くなり。9日にはまたも雪が降り。
それきり気温が上がらず、10、11、12日になっても町のあちこちに雪が残っていました。
ところが13日、世界は一転、70度超(≒21.1℃以上)
14日に庭に出てみたら、一昨日まで雪があった場所に一面ホトケノザが咲き狂っていましたとさ。
冬きたりなば、夏遠からじ。


1月

今月のStars
1月7日、ニュージャージー・デビルズとの間でトレードが成立し
デビルズの右翼手Jamie.Langenbrunnerが我がスターズに移籍してきました。
(次の新人ドラフトでのスターズの3巡目指名権と引き換え)
もともと1994年から2002年の春までウチにいた選手です。だから「ようこそ」ではなく「おかえりなさい」。
今年はModanoがデトロイトに移り、Lehtinenが引退し、99年優勝時のメンバーが1人もいなくなってしまって
「あの年の栄光」にしがみつきたい(現在の弱さを直視できない)ファンにとっては少し寂しいスターズでしたから
Langenbrunnerが帰ってきてくれて、とても嬉しい、です。
いえ、私は99年のことに関しては「歴史」として後から学んだ知識しかありませんけど。
そんな私でも名前を知ってるくらい、Langenbrunnerはスターズの人気者でした。
これからの活躍に大きく期待します。

で、Langenbrunnerの帰還を面白く思っていない様子なのが、我が家の(ぬいぐるみの)Ott(*2010年12月参照)。
「あいつ、気に食わねえんだよっ」とヒジョーに不機嫌です。
Langnbrunner、そんなに人に嫌われるような選手ではない筈なんですが、いったい彼のどこがイヤなの?
「名前が嫌いだ。長くて立派だ」
 Langenbrunner。
 Ott。
…確かに随分と見栄えが違いますな^^
「!嫉妬してる訳じゃないぞ。俺は俺の名前は好きだ。短くて、幼稚園児でも簡単に書ける。
Langenbrunnerなんて無駄に長くて、GとかBとかRとか面倒な字も混ざってて、子供たちに不親切だ」
…まあ確かに。文字を覚え始めたばかりの幼児だと、例えばNなんかも鏡文字になりやすい難しい字でしょうし。
その点、Oとtなら鏡に映してもOとt。「丸描いて十字架、十字架」だもの、判りやすいことこの上ないですわな。
ちなみに(本物の)Ottは大変に子供好きな選手です。子供たちに好かれる選手でもあります。
「小さな子供でも綴りやすい名前」というのは、本物のOttが発言したなら笑って頷ける内容なんですが
うちのぬいぐるみのOttもそんなに子供好きだったのか???
いつか機会があったら、よだれまみれの幼児の集団の中に(ぬいぐるみの)Ottを落っことして
(ぬいぐるみの)Ottがどんな反応をするか試してみたいです。

でも、Langenbrunnerって、やたら長い割りに綴りは易しいってか
Nが2つ重なることさえ忘れなければ覚えやすい名前っすよねー。
99年優勝メンバーの1人で、現在はスターズのゼネラル・マネージャーであるNieuwendyk。
私、これは10回書いても覚えられません。昔、20回書いて頑張って覚えたけど、次の日にはもう忘れてました。
Ottよ、LangenbrunnerよりもNieuwendykを目の敵にしろや。


今月の新着商品
スーパーマーケットで、「Kiku」というシールの貼られた林檎を見つけました。
kiku…もしかして、「菊」??。聞いたことのない名前だけど、最近の新しい品種かな。
縦に細かな筋と微細な斑点が入り、日本の「富士」に良く似た見た目です。
もしかしたら美味しいかも、と期待をこめて2つだけ買ってみました。

ここアメリカでも「Fuji」という名の林檎は普通に売られています。
その辺のスーパーの果物売り場に山と積まれています。
が、買って食べてみると全然富士の味じゃありません。外見も富士より寧ろ「陸奥」とかに似た感じで
親の樹は本物の富士でも、土壌と気候が違うとあんなになっちゃうのかしら。
(或いはどこかで別の品種が交雑しちゃったか?)
とにかく日本人としてはこれをFujiと呼びたくないぞ。呼ばせたくないぞ。みたいな林檎です。
そんなわけで、アメリカでも「Fuji」は買えるけど、富士らしい富士は食べられません。
林檎の季節(=雪による交通麻痺で旅行日程が乱される危険の高い季節)の一時帰国は極力避けているので
日本で本物の美味しい富士を食べる機会もほとんどありません。
ああ富士恋し。

試しに買ってみた「kiku」は、Fujiよりもよほど富士らしい味のする美味しい林檎でした。
大きな林檎を「んがっ」と咥えながらぱこぱこと検索かけてみましたら
「Kiku」は品種名ではなく、南チロルの某農園で栽培されている「Fuji」の登録商標であるらしい。
キク印の富士、というブランド林檎だったわけですな。
(林檎の表面全体にKiku-Appleを意味する「KA」なんて変なモノグラム模様が散ってなくて良かった)
(↑林檎が青いうちにモノグラムシールを貼ることでそこだけ発色を抑えるんだろうね?)(…ああ馬鹿らし)
服飾品のブランド物はアホらしいとしか思えないので買って持つことは原則的にありませんが
食品のブランド物は、味と(或いは無農薬である等の付加価値と)値段とが釣り合うなら買っても良いかなと思うます。
Kikuは…また買うかな?ちょっと微妙。美味しかったけど。普段用の自宅用にはちょっと高い。
それに少々大きすぎて、丸齧りしてたら食べ終わる前に疲れて飽きたです。
どこかに小ぶりで美味しいFuji売ってないかな…


今月の修繕
新年早々、あけて3日に風邪ひきました。
頭にがんがん響く激しい咳が止まらず、上半身を起こすと呼吸は少しだけラクになるのですが
でも頭を少し持ち上げると高熱のためフラフラする。横にならずにいられない。そしてまた咳が出る(泣)。
何より辛かったのが着込んで着込んで布団に潜り込んでもまだ震えが止まらないほどの寒気。
寒くて寒くて寒くて寒くて、とにかく寒くて悲しかった。

さて、我が夫にはどーにも奇妙な習慣(あるいは癖)があります。
私が体調を崩して倒れていると、やおら家中の掃除を始めるです。
奥さんが相手をしてくれなくて退屈だから。
あるいは病気の奥さんのために少しでも役立ってあげたくて。
…気持ちは有難いですが、掃除機の音、うるさいです。
静かに寝かせておいて貰った方が嬉しいです。
基本的に善意でしてくれていることなので余り文句は言いたくないけれど
ででででも。お願いだから、屋根裏部屋の片付けは別の日にしてくれませんか。
私の寝室の、私の寝床の真上をどたどたと歩き回らないで欲しい、
屋根裏に上がる折りたたみ階段の金属のバネの音もとっても不快なの。
いらいらして体温1℃上昇。
耐え切れず、もうやめてと屋根裏の夫に頼もうとしたら、あらら、咳のしすぎで喉が潰れて声が出ない。
私の切なる思いは夫に届かない。
もー駄目。ずきずきする頭を抱え、這い蹲るようにして夫の寝室に一時避難。
(*部屋が余っていて勿体無いので別寝室やっとります。)
ふん、部屋いっぱいにウィルス撒き散らしてやる。ごほごほごほっ

夫の寝室は夫がガタゴト音を立てていた場所からはかなり離れていて、まあまあ静かです。
夫の寝床の方が上質で寝心地良いという事情もあり、部屋を移った直後からしばらく、熟睡できました。
時間的には僅かの間だったようですが、それでも少しはラクになり。
と、そこへ夫が顔を出し「今から業者さん来るから」 …へ??
暖房装置が壊れていたそうです。
夫が屋根裏(病人の頭上)で遠慮会釈なしに物音立てていたのはそのためだったらしいです。
私が寒くて寒くて寒くて寒くて堪らなかったのは風邪のせいだけでは無かったのかもしれません。
今晩も冷え込む予報、暖房が壊れているのは肉体的にとても厳しいけれど
だけど現在、夜の10時過ぎ。こんな時間に業者を呼んで、どんだけ割増料金取られるかしら。
再び頭がくらくらし始めました。
部屋は(いつものように)思いきり散らかっていて、それを業者さんに見られるのかと思うとさらに熱が上がります。
業者さんが土足のままで家中歩き回ることを考えて体温1℃上昇。
いつもなら業者さんが帰ったらすぐに掃除機をかけるのに今日の私の体調ではそれは無理、
彼の土足の動線と、夫と私の素足の動線が完全に混じりあって汚染が拡大することを想像してまた1℃上昇。
やがて業者さんがやってきて、彼が暖房を入れたり切ったり、風が吹いたり止まったり、
それが彼の仕事なんだ、私らが依頼したことなんだけど、だけど神経に障って1℃上昇。
合計でいったい何度熱があがったことか、遂に高熱のあまり意識が遠のき、
修理が無事に完了して天井の送風口から温風が流れ出したことも、業者さんが帰ったことも、
私は全く気づきませんでしたとさ。
(ひき始めが肝心と言われる風邪の最初の1日を超低温環境で過ごしたせいでしょうか、
その風邪は恐ろしいほどに長引き、1月の半分を寝て過ごす破目になったのでした。
現在は完治してます。お見舞いは遠慮します^^)


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